梅雨が明け、いきなり猛暑の日々が続いていますが
いかがお過ごしですか?
8月も、もう目の前。
夏真っ盛りの8月、
夏ならではの行事もたくさんありますが
この季節は、戦争についてのドキュメントや映画の放映も増え
平和について考える機会が多いと思います。
今回は、私自身のことも交えながら書いて行きたいと思います。
私の祖母、大叔母(祖母の妹)、曾祖母(祖母の母)は
皆、広島の被爆者です。
物心ついたときから、祖母たちから、原爆の話を聞いて育ちました。
広島の原爆は、私にとっては、
大好きな家族の、かけがえのない友達や同僚、知人を奪ったものです。
ついさっきまで一緒に話していた友達が
黒焦げになって亡くなってしまった話。
骨がいっぱい落ちている道を泣きながら
小学校から家まで帰ってきた話。
一瞬の差で、祖母たちも死んでいたかもしれない・・・
そうすれば、自分も生まれていなかった。
運命の不思議さと、原爆の恐ろしさ、戦争の愚かさ
なにより、命の尊さを
子どものときから教えられてきました。
被爆者の高齢化が進み、
次の世代に原爆を語り継ぐ存在が少なくなっています。
うちでも曾祖母、大叔母も他界し、
いまは92歳の祖母だけがいますが
原爆の話を日常的にすることもなくなってきました。
残されたわたしたちにできることは、なんなのでしょうか。
小学生の時、修学旅行で広島を訪れた際、
語り部の方に原爆体験を聞きました。
そのとき、語り部の方のお話の中で
とても心に残る言葉がありました。
「いじめも、戦争も同じ」。
いま、日本は平和な国になりました。
でも、いじめ、様々なハラスメント、DVや虐待・・・
多くの人が傷ついています。
戦争も、そうした様々な問題の根源も
結局は同じなのだ・・・
語り部の方は、そう私たちに伝えたかったのだと思います。
「多様性と調和」を理念に掲げるオリンピック・パラリンピックの
開・閉会式の楽曲担当に
過去、凄惨ないじめを行っていたミュージシャンの起用をするなど、
耳を疑うようなニュースがありました。
それを許さない人々の大きな動きがあり、
結局は辞任に至ったことは
せめてもの救いでした。
人の命の尊さを最優先できない人々が国を動かしていることに
失望することも多々ありますが、
それに声をあげる人々の声が
これからの日本を良くしていくと、私は信じたいと思います。
戦争を知る人々が高齢になり、
戦争の知らない世代ばかりが、この日本に残る時代も
もう目の前まで来ています。
もう一度、私たちは「平和」の意味を考え直すべきなのではないでしょうか。
<読者の皆様へ>
いつも「Miyukeyの気まぐれブログ」をお読み頂き、
ありがとうございます!
この記事は100記事目です。
二年近くかかって、やっと100記事なので、
ちょっとお恥ずかしいのですが、
いつも読んでくださっている方々、コメントをくださっている方々に
心よりお礼申し上げます。
本当にありがとうございます。
最近、ブログの在り方に迷いが出てきました。
ブログを書く目的や目標は千差万別、
ひとそれぞれだと思いますが、私は
ブログで自分がどのような記事を書きたいのか、
最近、少し揺らいでしまうことが多くなってきました。
今までの記事の文字数は3000~4000字。
私が感じたことや想いをお伝えするには、
それくらいは必要だと感じていましたが、
たくさんの方のブログを読ませて頂き、
短くても心に残る素晴らしい記事や有益な記事も多いと気付きました。
私がそのような優れた記事を書けるとは思えませんが、
なにより、
自分がどのようなブログを書きたいのか、迷走状態である間は、
試験的に、短い記事や長めの記事、
写真があったりなかったり、いろんな記事を書くかもしれません。
いままでも「気まぐれブログ」でしたが、
これからはますます「気まぐれ」になると思います・・・^^
これからも、この「Miyukeyの気まぐれブログ」を
どうぞ宜しくお願い致します。
感謝をこめて、100記事目を終えたいと思います。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
<100記事記念・勝手にベストセレクション>
どれも想いをこめて書いた記事なのですが、
その中で、自分が特に気に入っているものを選びました。
記事の「質」は全く考えず、
単に自分が好きな記事という基準です。
ご了承ください^^
中欧ヨーロッパを旅行中に見たいくつかのペスト塔。
それらは、多くの命を奪った疫病ペストを克服した記念に人々が建てた記念塔でした。
中欧ヨーロッパで撮影した写真とともに、コロナ禍のいま、このペスト塔に感じる想いを書きました。
大好きなヘミングウェイの絶筆「移動祝祭日」というパリが舞台の小説について。
ブログを始めたばかりの頃の気持ちを思い出せる、私にとっては大切な記事です。
コロナ禍のため、2020年春に、つぼみを全てせん定されてしまった与野公園のバラの花。
秋には、満開の花を楽しむことができました。その感動を綴るとともに、バラ園の写真をたくさん載せました。
人々が大切に残してきた歴史ある建築物と、観光客を呼び込む新しい店・・・
そして、川舟からの景色。
新旧がまじりあった美しい街並みの感想を写真と共に綴りました。
とても感動したミティラー美術館コレクション展。
インドの先住民が描いた絵画は、生の歓びと温かさで溢れたものでした。
もうずいぶん前の展覧会になりますが。
2年前に書いたこういう文章は、もう自分には書けないかなーと感じ、懐かしく読み返しました。
原爆の被災者にとって、そしてその家族にとっても、あの日は、一生消えることのない記憶です。そして、記憶から消し去ってしまってはいけないのです。
「記憶に残っている、あの日」