朝晩、冷え込むことが多くなりました。
冬の足音が聞こえてきましたね。
伝統的な建築物が残る美しい街を歩き、感じたことを綴りたいと思います。
☆注)今回の記事で使用した画像は全て2020年10月19日~21日に
Miyukeyが倉敷で撮影したものです。
☆倉敷美観地区とは
江戸時代には幕府の直轄地にもなった輸送物資の集積地として、
明治時代には倉敷紡績を中心に繊維産業の町として繁栄。
文化財級の建築物や蔵、町家が集まり、伝統的建造物群保存地区に指定されている。
抜粋:
町の中心をゆったりと流れる倉敷川。
そこを通る川船と真っ白な白鳥たち。
白と黒のなまこ壁。
風に揺れる柳の木と人力車。
何百年も昔の景観が、
今もなお大切に保存されている美しい街。
それが倉敷・美観地区です。
☆「ひやさい」でタイムトリップする
倉敷の方言で、細い入り組んだ路地を「ひやさい」と呼ぶそうです。
美しい黒と白のなまこ壁が施された建物が建ち並ぶ倉敷の路地。
静まり返った「ひやさい」を歩くと、ふっと何百年も前の世界に
迷い込んでしまいそうな気がします。
壁の下の部分に見られる市松模様が「なまこ壁」。
生子壁[1][2][3]/海鼠壁[1][2]/なまこ壁(なまこかべ)とは、土蔵などに用いられる、日本伝統の壁塗りの様式の一つで、その壁をも指す[4][5]。壁面に平瓦を並べて貼り、瓦の目地(継ぎ目)に漆喰を蒲鉾形に盛り付けて塗る工法[6]によるもので、目地の盛り上がった形がナマコ(海鼠)に似ていることからその名がある[7]。
耐火、防水などの目的・機能を持つ[10]。
引用:
壁に瓦を張りめぐらして補強し、
目地を漆喰で塗り固めて水の浸透を防ぐ・・・
川から運ばれてきた綿や酒などを保管するための蔵を
風雨から守るために
人々の知恵が生み出したなまこ壁。
それは、松山藩の玄関港として栄えた倉敷の町に
なくてはならないものでした。
カメラを向けるだけだった手を止め、
江戸時代からの人々の想いに耳を傾けるとき、
この景観の本当の美しさと価値を知ることができるような気がします。
2、川船に乗って街のもう一つの顔に出会う
倉敷観光で、ぜひ体験したいのが川船流し。
まずは乗船券を買うため倉敷館へ。
大正6年に町役場として建てられた倉敷館。
いまは案内所、休憩所、チケット販売所として使用されています。
日本の伝統建築が多いこの街で珍しい洋風建築が目を惹きます。
いよいよ倉敷川のたもとから乗船。
木で作られた小さな舟を
昔ながらの竹笠をかぶった船頭さんが、こいでくれます。
ぐらぐらと揺れる川舟に乗り込むことに気をとられ写真を撮り忘れましたが
乗船場の石の階段は江戸時代から、人々が船の乗り降りに使用していたものだそう。
いたるところに歴史の足跡が残っています。
街を歩きながら見ているのとは、また違った街並みの美しさに
うっとりと酔いしれるひととき。
町を見上げる。
視点を変えただけで、こんなに街が違って見えるなんて。
川舟に乗って、街のもう一つの表情を発見しました。
江戸時代、この倉敷川は潮の干満を利用して多くの船が航行していたそうです。
私たちが見つめるこの景色とほぼ変わらない街並みを
昔の人々もまた、こうして舟に揺られながら見ていたのでしょうか。
何を想い、何を聴き、どんなことを考えながら・・・?
出会いがあり、別れがあり、
たくさんの人が訪れ、また去って行った場所。
そう考えると、私たちが乗っている川が、そのまま遙か昔に繋がっているようで
不思議な気持ちになりました。
人々は何を想いながら、この景色を眺めたのだろう。
揺らめく緑のコケと、こぼれるように咲く萩の花、
舟のすぐそばを通り過ぎていく大きなコイ、
川面をそっと撫でていく秋風・・・
たゆたう川の流れを全身で感じていると、
なんだか自分が川と一体になったような気分になりました。
何世紀もこの街を見守り続けた川のささやきに、耳をすまして。
3、街に潜むストーリー
昔の街並みが保存された倉敷には
人々が日々感じてきた悲喜こもごもや想いが
時と共に刻まれているように思います。
幾千もの数えきれないストーリーが眠っていそう。
江戸時代後期に建てられた米蔵を活用し、数々の工芸品を展示している
倉敷民藝館。
東京の日本民藝館に続き、二番目に古い倉敷民藝館は、
民藝運動の父とも呼ばれる柳宗悦に深く共感した大原孫三郎の働きにより
昭和23年に開館しました。
一歩入った瞬間から、この蔵が重ねてきた「時」の重さが伝わってきます。
倉敷民藝館を訪れたイギリスの詩人、エドモンド・ブランデンは
この中庭を絶賛し、次のような詩を残しています。
日本をこよなく愛し、
戦後、日本の文化、教育を再建しようと各地を巡って
講演を続けたエドモンド・ブランデン。
この詩には日本の美に驚嘆する彼のまなざしが
映し出されているように思います。
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エドモンド・ブランデン Edmund Charles Blunden(1896 - 1974) 引用; |
有隣荘は大原美術館を設立した実業家、大原孫三郎が
病弱な妻のために建てたという別荘。
遠目の写真でわかりづらいですが、この緑の瓦のツヤが
とても美しく、瓦ならではの微妙な色合いをしているのです。
この瓦は、一枚が、なんと現在のお金で5万円はしたとのこと。(川舟の船頭さん談)
広い庭を囲む塀や邸宅の屋根にも、びっしりと瓦が敷いてあるのだから
どれだけ贅を尽くした別荘なのかがうかがえます。
黒と白の建物が多いこの街で、
オレンジの壁に緑の瓦を合わせたセンスは、
さすが芸術に深い理解を示した大原孫三郎だと感心してしまいます。
大原夫人が短い48年の生涯を閉じるわずか二年前に建てられた有隣荘。
大原孫三郎の愛情が、ひしと伝わって来る気がしました。
年二回のみ内部が公開され、
私が訪れたのもその期間中だったのですが
コロナのため、今年は内部公開はないとのことでした。
いつかまた、内部を見られるときが来るのが楽しみです。
倉敷には、守り続けられてきた建築物を改装したお店がたくさん。
カフェも、雑貨屋さんも、レストランも旅館も、博物館も。
ご紹介したい場所は尽きませんが、
長くなりますので、またの機会にしたいと思います。
4、移りゆくもの、そして変わらないもの
国の重要伝統的建造物群保存地区として
天領の街であった頃の街並みが保存された倉敷・美観地区。
その美しい街を見ようと、全国各地から観光客が訪れます。
街にはお土産物屋が軒を連ね、可愛いモノ、素敵なもので溢れています。
実はいまや全国で大人気となったマスキングテープは
倉敷が発祥の地。
マスキングテープは倉敷土産の代表格となっています。
例えば「如竹堂」には、倉敷でしか買えないオリジナル柄も含め
全国のマスキングテープを集めたマステ専門店。
なんと約900種類ものマスキングテープが並び、
可愛いモノを求める女性客が後を絶ちません。
また、倉敷美観地区から約一時間ほどの児島が発祥地である国産デニムも人気。
美観地区の一画には「デニムストリート」ができ、
たくさんのデニム商品が売られている他、
インスタ映え間違いなしの「デニム豚まん」「デニムバーガー」
「デニムソフト」というものまで売られています。
これは、デニム色(青色)に着色した食品をテイクアウトで売っているお店。
こちらも修学旅行生をはじめ、若い人々で大賑わいです。
畳縁(たたみべり)でできた小物の店も。
畳縁というと地味なイメージですが、ポップな花柄からデニム柄、
パステルカラー模様や鮮やかな色合いまで
なんと270種類もの畳縁で作られたカードケースやペンケース、
ポーチや小物入れまでが並び、
倉敷土産の新たな代表格となりそうな予感。
大好きな倉敷を訪れたのは、なんと6年ぶり。
6年経っても何一つ変わらない街並みとは対照的に
観光客を呼び込む店は、見たこともない商品を取り揃えていたり
新しいオシャレな店ができていたり、支店が増えていたり。
そんな変化を発見する度、
「ああ、街も生きているんだな」と実感します。
うまく時代のニーズを取り入れ、人々の心をつかむものを生み出していく。
時代に合わせ、街も変わっていくことが求められるのです。
もちろん、以前にはなかったコロナの影響で
6年前とは様々なことが変わっていました。
大原美術館は予約制になり、
各店には消毒液が置かれ、検温や利用者名簿の記入も必要です。
時代を反映して移りゆくものと
絶対に変わらないもの、変えてはいけないもの。
それは、街も人間も同じではないでしょうか。
時代や環境、経験、年代、様々な物や人との出会いによって
人間も変わったり、変わらざるをえないことがある。
それは決して悪いことでも、淋しいことでもありません。
その時の状況に合わせて柔軟に、しなやかに生きる。
けれど、本当に大切な、「自分らしさ」や
自分の「核」となるものだけは、決して変えてはいけないのだとも思います。
インスタ映えを求めて、かわいいパフェやデニム色のバーガーに
群がる人々と、
ずっと守られ、受け継がれてきた倉敷の美しい景観を見ながら
そんなことを考えていました。
周りに合わせたり、時代の流れに乗ろうと肩肘を張ってみたり。
そんな毎日に疲れたら、倉敷美観地区を訪れてみませんか?
美しい街並みを散策するうちに、きっと心が解けていくはず。
自分の中での「変えたくないもの」を見つける旅も楽しいのではないでしょうか。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
参考資料:
「なまこ壁」って何のため? | 民家再生リノベーション専門 一級建築士事務所 風とガレ(愛知県豊田市)
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