Miyukeyの気まぐれブログ

愛媛県在住のアラフォー主婦です。本、洋画、訪れた場所などの感想を気まぐれに、かつ自由に綴りたいと思います☆笑顔の扉の”key"を見つけられる毎日になることを祈って♪現在は、仕事繁忙期のため月に2回の更新となっていますが、よろしくお願いいたします☆

前向きになれる!モンゴメリ「アンの青春」の美しい言葉たち

モンゴメリの「赤毛のアン」の続編、「アンの青春」には

毎日を前向きに過ごしたくなる名言や、美しい言葉が

ぎっしりと詰め込まれています。

今回は、特に心に響いた言葉をご紹介したいと思います。

 

 

1、前向きに明るく過ごすための言葉

 

「けっきょく、一番、幸福な日というのは、すばらしいことや、驚くようなこと、胸の湧きたつようなできごとがおこる日ではなくて、真珠が一つずつ、そっと糸からすべりおちるように、単純な、小さな喜びを次々にもってくる一日一日のことだと思うわ」

(第19章「幸福な日々」P277)

 

初めてこの言葉に出会ったのは、私がまだ小学生だった頃のこと。

赤毛のアン」関連の名言集の中で知り、

なんて素敵な言葉だろうと、暗唱したことを覚えています。

それから約30年・・・再び、この言葉に再会できました。

今は、あの頃より、もっと深く胸に沁み、理解できる気がします。

なんでもない日常。

平凡で、穏やかで、気に留めることもなく過ぎ去っていくような

普通の日の中にこそ、幸せがある。

大切な人、大好きな人が隣で微笑んでくれること。

今日、この日を健康で安全に過ごせているということ。

小さなことに笑い合ったり、ちょっとした優しさに心が温まったり

ほんのささやかな喜びを見つけて心がはずんだり。

当たり前だと思っているそんな日々こそ、真珠のように輝く

幸福なのだと気付かせてくれる言葉です。

 

 

それにきょうの出来事にはこっけいな面もあるわ。たぶんダイアナもあたしも白髪のおばあさんになったとき、二人で思いだして笑うでしょうよ。でもいまはそんな気になれないわ。がっかりしてしまったんですもの。…(中略)…マリラ、ごらんなさいな、ハリソンさんの楓の木立の上のあの大きな星を!銀色の空がとりまいて、神々しい、静けさにみちているわ。あれを見ると、お祈りのような気分がしてくるわ。けっきょく、あのような星や空を、ながめていられれば、小さな失望や災難なんかたいしたことに思えないわね?」

第17章「待ちあぐねた日」P257

 

アヴォンリーの学校の教師として立派に成長したアン。

それでも、思わず笑ってしまうような失敗や災難は、少女のときと同じ。

さんざんだった一日を終えたアンが言った、この言葉の中には

失望の中にも笑える点を見つけること、

後になれば笑って思い出せる日が来るということ、

辛い時には美しいものを見ることで少し心が軽くなること・・・

そんなアンからのメッセージが込められているように思います。

誰にでもある、「うまくいかない日」。

がっかりしたり、失敗したり、とにかくツイていなかったり・・・

心が下向きになりそうなときは、アンのこの言葉を思い出して

また明日から新しい気持ちで踏み出そうと思います。

 

 

 

 

 

「けっきょく、わたしたちは、どこにいても、自分の人生をきずいていくことにはかわりがないのですからね。…(中略)…その人生が幅のひろいものになるか、せまいものになるかは、人生からとりだすものによるのではなくて、その中へつぎこむものによって、きまるのよ。人生は、ゆたかな、充実したものですよ。わたしたちが、そのゆたかさと、充実したものにむかって、どんなふうに、心をひらいたらいいかをおぼえさえすればね」

第15章 「暑中休暇」 p229

 

アンの周りには、素晴らしい助言をしてくれる人、

励ましてくれる人、支えてくれる人が集まってきます。

この言葉を言ったアラン婦人も、その一人です。

与えられたものを「とりだす」のではなく

努力や愛情、優しさや熱意を、人生に「つぎこむ」こと。

そして人生の豊かさを知り、心を開いてそれを存分に受け取ること。

アラン婦人の言葉の意味を汲み取り、アンはますます魅力的な女性へと

成長していくのです。

さて、私たちは人生に何かをつぎこんでいるでしょうか?

心を開いて人生と向き合っているでしょうか?

ふと足を止めて、自分自身に問いたくなりました。

 

 

2、空想の翼を広げて!

 

みなしごで、何一つ美しいもののない寂しく辛い幼少期を送った頃に

アンを支えた空想の翼。

それは、カスバート家に引き取られ幸せな生活を送るようになってからも

アンの日々を彩り、励まし続けます。

 

「なにかすばらしいことがおこると思うと、あたし、想像の翼にのってとび上がるの。それで気がついた時にはドサンと地面に落ちているのよ。でもね、マリラ、飛んでいるあいだはほんとうにすてきよ・・・夕日の中を舞いあがっていくようなの。ドサンと落ちても埋め合わせがつくくらいよ。

第17章「待ちあぐねた日」 p256

 

想像力がたくましいばっかりに、現実に失望することも多いアン。

それでも、空想することの素晴らしさや幸せを

誰よりも知り、空想の世界を愛していることがわかる言葉です。

きっと、作者のモンゴメリ自身も、アンと同じように

空想の世界で羽ばたくことを愛した人だったにちがいありません。

モンゴメリは、「空想の世界」について、

「アンの青春」の中で、こんなふうに書いています。

 

その国の地図「太陽の東、月の西」を知っているということは、どんな市場でも買えない、貴重な知識である。それはたしかに赤んぼが生まれた時に善良な妖精たちが授けた贈り物で、年をかさねるにつれて、みにくくなったり、失われたりするものではない。たとえ、住む場所は屋根裏部屋であろうともこの知識をもっているほうが、それなしに宮殿に暮らしているより、どのくらい、すばらしいかしれない。

第15章「暑中休暇」p223

 

モンゴメリは幼い時に両親を亡くし、

町から遠く離れた小さな村で祖父母に引き取られて育ちました。

想像の力に支えられ、空想の中で過ごすことで慰められることも多かったでしょう。

そんな生活の中で生まれた「赤毛のアン」は、時代も国境も超え

いまも私たちに希望や楽しみ、前向きに生きる力を与えてくれています。

モンゴメリに「『太陽の東、月の西』の地図(=空想の世界)を与えた善良な妖精」に

感謝せずにはいられません。

さて、私は?そしてあなたはどうでしょうか?

アンの周りにいる女の子たちのように現実派でしょうか?

それともアンのように、空想の贈り物を妖精から贈られましたか?

どちらであったにせよ、人は、「目に見えるもの」だけでは生きていけません。

壁にぶち当たったとき、現実的に対処策を講じることは

もちろん必要ですが、

目に見える世界とは違う場所に

ほんのひととき、羽を休める場所があると知っていれば

ほんの少し心が楽になるかもしれません

 

 

 

 

「ぼく、新月のことをなんて思っているかわかる、先生?

夢をいっぱい、のせた金の小舟だと思うの」

「そして雲にのって傾いたとき、夢が少しこぼれて、あたしたちの眠りのなかに落ち

てくるんでしょう?」

「そのとおりなの、先生。ああ、先生には、わかるのね」

第19章「幸福な日々」p286

 

成長したアンは、かけがえのない「同類」と出会います。

その中の一人が、ポール・アーヴィング。

アンの教え子で10歳の美しい少年ポールとの会話には

うっとりするような詩的な言葉が溢れています。

今回、取り上げた言葉に初めて出会ったのは小学生のとき。

大好きな本「赤毛のアンの腹心の友ノート(著・高柳佐知子)」に

紹介されていたのでした。

美しい色彩で描かれた素敵なイラストとともに、モンゴメリの作品や

さまざまな登場人物について、印象的な言葉がおさめられた一冊です。

幼かった私は胸を高鳴らせて何度も何度も読んだものです。

 

 

ポールとアンが言った「新月の金の小舟」。

塾の帰り道、母とお出かけした夜道、家の窓から見える夜空に

くっきりと浮かび上がる細く金色の三日月を見るたびに、

この言葉を思い出していたものです。

その時から大好きだったポールとアンの会話に、

アラフォーを過ぎた主婦になったいま、再会できました。

実はこの後にもアンとポールの空想の会話は続きます。

その会話が、とても美しくてうっとりしてしまうのです。

同じ世界を持つ者同士の友情が、どれほど実り多いものかということを

アンは改めて教えてくれました。

 



 

3、「アンの青春」は

     美しい言葉、前向きになれる言葉の宝石箱☆

 

赤毛のアン」もそうでしたが、「アンの青春」もまた、

心に残る美しい言葉や、人生のいろいろな場面で思い出したくなる

前向きになれる言葉で溢れた一冊でした。

ページを開けば、きっとあなただけの、心に響く言葉が見つかるはずです。

 

最後に、アンの希望あふれる言葉を、もうひとつ☆

 

今日はまるで一粒の真珠のような一日だわ。花が咲ききそい、風は愉快に浮かれて、どこに吹いていいのやらわからないの。天国もきっとこんなところにちがいないわ」

 

第24章「予言者エイブおじさん」 p351

 

みなさまも、「一粒の真珠のような一日」をお過ごしください。

最後までお読み頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

<過去記事紹介>

 

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モンゴメリ「アンの青春」 赤毛のアンとの再会を果たしたアラフォー主婦の感想

最近、モンゴメリの「アンの青春」を読んでいます。

 

アンの青春―赤毛のアン・シリーズ2―(新潮文庫)

 

11~16歳のアンを描いた「赤毛のアン」の続編である「アンの青春」では、

16~18歳のアンの日々が綴られます。

うっとりするくらい美しくて、おもしろくて、大好きな一冊になりました。

慌ただしい生活の合間に、ほんのひととき、

自分のためにお茶を入れて、本を開く時間。

それは、「アンの青春」を読み始めてから、一層、楽しい時になりました。

「今日もアンに会える!」・・・ワクワクの読書時間。

人によっては一日から数日で読み終えることができるかもしれませんが

私は、あえてゆっくりとページをめくります。

登場人物の気持ちや、アヴォンリーの美しい自然、少女たちの笑いさざめく声、

着ている服やおいしそうなご馳走の味・・・

想像力豊かなアンのように、一行一行に、想像をふくらませて。

 

1、アンは心の親友☆

 

小学生の頃、モンゴメリの「赤毛のアン」が大・大・大好きでした。

アンの住むアヴォンリーの自然に憧れ、人々の素朴な生活に憧れて、

少しでもアンに近づきたくて、いろいろな場所に名前をつけたり、

想像にふけったり、綺麗なものを集めたり・・・

そんな私を見て、家族がたくさん赤毛のアン関連の本をプレゼントしてくれ

それを読んで、ますますハマりました。

もちろん、「赤毛のアン」は、何度も何度も読み返しました。

いつか聞かれたことがあります。

赤毛のアンの続きは読まなくていいの?」と。

そう、モンゴメリの「赤毛のアン」シリーズは11巻もあるのです。

11歳でグリーンゲーブルスに引き取られた、

やせっぽちで赤毛の、想像力たくましい少女は、結婚して子供までできるらしい・・・

ということはうっすらと知っていました。

それでもやっぱり、私はどうしても、アンには、

自分と同い年の女の子でいてほしかったのですね。

心の中の大親友として、ずっと少女のまま、

胸の中にいて欲しかった。

決して美人じゃないけれど、想像の翼を広げて瞳をきらきら輝かせている、

美しいものが大好きなアン。

成長する中で、いろいろな本に出会い、興味は移り、

いつしか「赤毛のアン」は「幼き頃に夢中になった本」として記憶の底に沈んでいって

しまいましたが、

それでも時折、ふっと思い出すアンの面影は

大人になってからも、素晴らしい思い出として

私を優しく甘い気持ちにさせてくれたのでした。

どうして、いま、「アンの青春」を手に取ったのか?

それは自分でもわかりません。

アラフォーの主婦になった私が、古い親友に再会するように

16歳になったアンの日々をいま、読んでいます。

あの時に止まっていた時間が、一気に流れ出したみたい。

アンは、成長して、ますます魅力的になって、たくましくなって・・・

でも一方で、おっちょこちょいで、とんでもない失敗をしでかしてしまう面も

相変わらず。

思わず笑ってしまう大失敗と、ほほえましいエピソードの連続に

心が温まったり、うっとりしたり、くすくす笑ったり・・・

赤毛のアン」のラストで、

「曲がり角の先には、きっといちばんよいものがあるにちがいないと思うの」と、

希望に胸をふくらませながら語ったアン。

あんなに小さかったアンの「曲がり角の先」が、こんなに愉快なものだったなんて。

もっと早くに読めばよかったかなぁと思ったり

でも、いまだからこそ、こんなに懐かしく、

自分の女子高生時代とアンの青春を重ねて楽しむことができるんだなぁと

思ったりしています。

 

2、アンの成長

 

「アンの青春」の魅力のひとつは、やはりアンの成長でもあります。

夢見がちだった少女は、学校の先生になり、

(現代では考えられないことですが、アンは16歳で教師になります!)

教育に対する高い理想を掲げながら、学生の気持ちに寄り添い、

子どもたちに愛され尊敬される存在に。

同時に、「改善会」という会も立ち上げて、

アヴォンリーの町をリードしていくようにもなります。

ああ、私の女子高生時代の子どもっぽさに比べると

なんて立派な女性・・・

マリラもリンド夫人も、アンの意見に一目置いて

すっかり大人の女性扱い。

でも、それでいて、まだ想像の翼を失わないところがアンの素晴らしさ。

地に足をつけた現実派の女の子たちには

「アンは時々何を言っているのかわからない」と言われてしまいますが、

わかってもらえようがもらえまいが

想像の翼を思い切り広げて、いきいきと楽しんでいるアンの姿は

やっぱり、たとえようもなく魅力的なのです。

周りに流されず、自分が自分たりえる大切な部分を、

ちゃんと持ち続けるということの大切さを

アンから教えてもらいました。

 

 

3、さまざまな出会い

 

成長したアンには、すばらしい出会いが用意されていました。

心から打ち解け合う親友になるのに、年齢も性別も関係ありません。

アンは10歳の少年ポール・アーヴィングとも、

45歳のオールドミス、ミス・ラヴェンダーとも、

そしてもう何年も昔に亡くなって、伝説のように語り継がれている女性

へスター・グレイとも「親友」になれるのですから。

 

 

自分と同じ世界に生きているということ、美しいと思えるものが同じで、

同じことに笑い合えるということ。

「変わり者」と言われても、自分の世界を大切にしている者同士だからこそ、

わかり合え、素晴らしい時を共有できるのでしょう。

美しい友情に、こちらも胸が温かくなるのです。

 

4、最後に  新しい曲がり角

 

人生は、旅。

誰にとっても、登り坂や下り坂、曲がりくねった道やでこぼこ道、

そして時に素晴らしい風景の道も用意されています。

それは、アンにとっても同じ。

生徒との素晴らしい関係を築いてきた学校での仕事や

マリラと双生児との暮らし、かけがえのない友人たち

その全てに別れを告げ、

アンは遠い街の大学へ進学する決意をします。

何かを得るためには何かを手放すことが必須・・・

アンは別れの寂しさをこらえ、新たな曲がり角を曲がるのです。

また、その先に、輝く未来があることを信じて。

アンの、どんなときも希望と明るさを失わない姿に、

また元気をもらえました。

ちっぽけな少女のアンも、教師になった成長したアンも

いまでは、私の胸に住む大切な「腹心の友」になりました。

 

今夜もアンに会える日を楽しみに♪

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

赤毛のアン」シリーズには、全文訳で有名な松本郁子さんの訳もあり、

ずいぶん悩みましたが、私には訳注が多すぎる気がして、一番なじみのある村岡花子

んの訳を読みました。

 

 

私が小学生の頃から大好きな高柳佐知子さんの本。

アンの友人、ポールやミス・ラヴェンダーの紹介もあります

 

 

昔、祖母が買って来てくれた本。この一冊から、「赤毛のアン」に夢中になりました。

 

<過去記事紹介>

 

 

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