Miyukeyの気まぐれブログ

愛媛県在住のアラフォー主婦です。本、洋画、訪れた場所などの感想を気まぐれに、かつ自由に綴りたいと思います☆笑顔の扉の”key"を見つけられる毎日になることを祈って♪現在は、仕事繁忙期のため月に2回の更新となっていますが、よろしくお願いいたします☆

東京の洋館 山本有三記念館で都会の喧騒を忘れて

東京・三鷹山本有三記念館へ行って来ました☆

実は、私、山本有三の作品は一冊も読んでいないのです。。

が、この記念館のことを知って以来、

その美しい建築様式に憧れ、

私の「一度、訪れてみたい!リスト」に名を連ねていました。

 

 

予定していた日は、まさかの台風!

関東は、それほどの影響がないようですので、

大雨にも負けず、決行することに。

 

三鷹駅から玉川上水沿いを歩くこと10分強、

三鷹市山本有三記念館に到着しました。

 

メルヘンチックにも見える白い門の前には

大きな石が。

山本有三の作品にちなんで「路傍の石」と名付けられています。

 

道端で見つけた石を家まで運ぶなんて、

よっぽどの石好き?

いえ、名作「路傍の石」を書き上げようという

強い意志の証として、そばに置いておこうと思ったのかもしれません。

 

 

 

一時的に小雨になったので庭園も回ってみます。

 

そぼふる雨の中、トンボも羽を休めに来ていました。

秋を感じます。

有三も、執筆の合間に庭を散歩したのでしょうか?

 

緑の合間から現れる美しい洋館。

やっぱり素敵です!

今日はたまたまガイドさんがいらっしゃって

たくさんお話を聞くことができました。

天候のこともあるのか、来場者は私たちのみ。

ゆっくり見て回れました。

 

この建物は、もともとは貿易商 清田龍之助が1926年に建てた邸宅。

その後、山本有三が10年間住みましたが、進駐軍に接収されたため転居。

のちに東京都に寄贈され「有三青少年文庫」も開設された歴史ある建物。

いつどのような改築がされたのか、設計は誰なのか、謎も多く残っています。

 

入ってすぐの部屋は、一家の団欒の場でした。

外から見た煙突は、ここの暖炉に通じているそうです。

暖炉を囲む家族写真からは、温かい雰囲気が伝わってきます。

 

山本有三がここに住んだのは49歳から59歳までの十年間。

移り住んだ当時は、体調を崩していたそうですが

一目で気に入ったこの邸宅で過ごすうち活力を取り戻したといいます。      

 

暖炉のある食堂

クラッチタイルで作られている暖炉。

 

食堂の照明

 

私が美しい照明に目を奪われていると、

ガイドさんが

「耐震のために、この建物の壁やステンドグラスなどには

近年、手が加えられていますが

この照明は、建設当時から使用されているものです」

と教えてくださいました。

楽しいとき、辛いとき・・・人々の様々なときをこの照明は照らしてきたのですね。

写真ではわかりにくいですが、金具には精巧な彫り物がしてあり、

とてもエレガントです。

 

 

光が差し込む優雅な雰囲気の応接間。

ここで、どんな話をしたのだろう?

 

応接間のステンドグラスや展示品。

※ご興味がある方はクリックして拡大してお読みください

 

長女の部屋。

 

有三が移り住む前はテラスだったと考えられているそう。

風が吹き抜け、日当たりもいい部屋です。

アーチ型の窓が印象的。

 

当時、使用されていた軽井沢彫りの椅子。

 

 

 

2階へと続く階段・・・。

ステンドグラスから差し込む光、木製の壁と赤い絨毯、丸いランプ。

静けさが満ちています。

この邸宅を建てた清田龍之助の父親は

牧師だったそうです。

そのこともあってか、「教会のよう」だという感想をよくきく、と

ガイドさんはおっしゃっていました。

確かに、厳かで静けさが満ちたこの建物の持つ雰囲気は

教会に通じるものがあります。

それでいて、ここで暮らした山本有三や、

本を読むため、この邸宅に集まった少年少女たちの

いきいきとした笑い声などが聞こえてくるような温かさもあるのです。

 

また雨が激しくなってきました。

ここから見る雨は、美しく見えるから不思議。

 

 

和室書斎。

ここで「路傍の石」を執筆したんですね。

集中できそう!

 

 

息子に読ませるための児童文学を探していた有三は

当時、巷に溢れる子供向きの童話の質の悪さに驚いたといいます。

そこで、有三は自分で石井桃子などの作家をスカウトし

児童書の編纂に着手するのです。

見ているだけで可愛らしい♪

当時、出版された童話本の数々☆

 

2階の展示を見て、文学者・翻訳者として、教育者として、また政治家としても

非常に熱く、信念を貫いた山本有三の人物像が垣間見られました。

 

展示の中で心に残った言葉、山本有三自身も座右の銘にしていたという

「心に太陽を持て」という詩(フライシュレン著・山本有三訳)が

収録されている心に太陽を持て (新潮文庫)という本をショップで買いました。

 

 

世界の逸話集だそうです。青少年向きですが、子供も大人も楽しめるとのこと。

読むのが楽しみです。

 

帰りは、雷雨!!

お隣の「カフェ オランジュ」にてティータイムをしながら

雨宿り☆

次は晴天の日に訪れたいと思います^^

 

三鷹市山本有三記念館は、

山本有三ファンのみならず

山本有三を知らない私でも、存分に楽しめる

美しく静けさの漂う優美な洋館でした。

作家、山本有三のことを知るきっかけを作ってくれる記念館☆

次は、作品を読んでから訪れたいと思いました。

そうすれば、きっとまた新たな発見があるはず・・・!

 

三鷹には、そのほかにも、

太宰治文学サロン、太宰治に関連する様々なスポット、

三鷹の森ジブリ美術館など文学・アニメーションに関する名所が

たくさんあります。

またゆっくりとご紹介したいと思います。

「心に太陽を持て」の初版の絵

 

最後までお読み頂き、ありがとうございました☆

 

山本有三関連書籍>

 

 

 

 

<洋館や文学散歩関連の記事>

 

miyukey.hatenablog.com

 

miyukey.hatenablog.com

 

 

miyukey.hatenablog.com

 

miyukey.hatenablog.com

 

miyukey.hatenablog.com

 

miyukey.hatenablog.com

 

 

Xserverドメイン

お名前.com

 

あのころの、私に会えた気がした 井上直久の絵画とわたし

浦和の伊勢丹を歩いていたら、ぱっと目に飛び込んできたのは

懐かしい絵。

イバラードの世界 井上直久版画展

 

 

 

 

用事もそこそこに、7階の美術画廊に足を早めていた。

 

まだ小学生のときのこと。

母が一冊の画集を買って帰って来た。

仕事の帰りに、ギャラリーの前を通ったら

個展をしていて、その絵があまりに美しかったから

私にも見せたくなって買ってきたのだという。

イバラード博物誌

 

それは見たこともないほど不思議な絵だった。

ファンタジックだけど、どこか現実とも繋がっている。

深い青、雲の虹色に惹きこまれる。

海のようで、地上のようで、空のような空間。

神秘的な女性が歩いていて、少女が宙を飛ぶ。

商店街には小惑星ラピュタの卵や、見たこともない夢のかけらのようなものが

並んでいる。

 

「上昇気流」(1990年)<イバラード博物誌

 

 

私は、そのとき、退院したばかりだった。

まだ体調が悪くて、あまり起き上がれなかったけれど、

ベッドの中で、来る日も来る日もページをめくった。

体調だけではなく、精神的にも打ちのめされることが

重なった時期だった。

辛い日々だったけれど、その絵を観ていると

現実じゃない、どこか別のところへ飛んでいける気がした。

自分が生きる世界のどこかに入口があって、

この異次元の世界に行ける気がしたのだ。

 

 

「元気になったら、この先生に絵を習えばいいわ」

母がそう言ってくれたのもあり、ますます勇気づけられた。

なんと家からそう遠くないところで、井上直久先生が

絵画教室を開いているという。

そうだ、治ったら、私はこの先生に会いに行こう、

そして絵を習おう。

ぱっと心に灯がついたように思った。

 

それから一年が過ぎたころだったか、

井上直久先生がジブリの「耳をすませば」の映画の中で

「バロンのくれた物語」の背景画を制作されたと聞いて

映画館へ行った。

耳をすませば [VHS]

読書が大好きな中学生の月島雫と、

ヴァイオリン職人を目指す天沢聖司

夢に向かってイタリアに旅立つ聖司に刺激を受け

雫は、自分の夢を賭けて一作の物語を書く。

その作品が「バロンのくれた物語」。

映画の中で、雫は自分の書いた物語の中を旅する。

その時の背景を描いたのが井上直久先生だった。

 

感動した。

雫と聖司のほのかな恋心や

夢を追うまっすぐな気持ち。

そして、スクリーン上で観る井上直久先生の

不思議で幻想的な世界観。

ますます私は井上直久作品にのめりこんでいった。

「借景庭園Ⅲ」(版画展ポスター)

 

 

が、その後、すっかり体が元気になり、学校へ行くようになり、

様々なことが元通りになると、

不思議なことに画集を開く回数も減っていった。

中学に入り、卒業するころには、画集は本棚の奥にしまいこまれていた気がする。

それでも、井上直久先生のその画集は

私のこれまでの人生で一番つらかった時期を乗り越えさせてくれた

大切な一冊として、ずっと大切にしていた。

だから、20年以上も経って、大阪を離れ、埼玉に引っ越すときも

これだけは、と、段ボールに入れて持ってきた。

 

浦和の伊勢丹の美術画廊で観る井上直久先生の作品の数々。

あんなに夢中になって観た絵は

紙に印刷された画集のものだけで

実は、本物の絵を観ていなかったことに今更ながら、気づいた。

井上直久先生にしか出せない深く、不思議で美しい色合い。

じっと観ていると、その世界に吸いこまれていく気がするのは

小学生のころと何も変わらなかった。

そうだ、あの頃、私は毎日夢想していた、

いつかこの商店街に迷い込んだなら、めげゾウ(※)に会って、

買ったら自分から後をついてくる石や

きらきらした夢の原石のかけらを買おうと。

そういう夢想で、自分を励ましていたことを思い出した。

私の逃げ場所を作ってくれたのだともいえるかもしれない。

 

「スターシップの店」 (1993年)<イバラード博物誌

 

※めげゾウ・・・イバラードに出現するという伝説の動物。体を丸めた灰色のゾウで、めげているような姿が印象的。)

 

 

 

商店街の大きな絵も展示があった。

それを観ていると、ほんの一瞬、あの頃の自分が

そこを歩いているような気がした。

アラフォーになった私と、小学生だった私。

一枚の絵を通して会えた気がした。

心配しなくていいよ、ちゃんと元気になるから。

ちゃんとオバサンと呼ばれる年になるまで生きて

幸せに笑ってるから。

あの頃の自分にそう言ってあげたかった。

 

略歴を見ると井上直久先生は、何度も海外に写生旅行へ行かれ

国内外で個展を開き、精力的に活動されている。

いまは、中学の国語の教科書にも随筆が載っていて

美術の教科書にもその作品が載っているそうだ。

いまの中学生たちは、井上直久先生の名前と絵を、

学校で習って知っているのか、と思うと

とても嬉しかった。

 

美術画廊には、中学生くらいの女の子を連れた家族が来ていた。

女の子は何度も小さな画廊を観て回って、

展示されている本を読んで、また再び作品を観て回っていた。

「すみません・・・」

かなり長いこといるのだろうか、お母さんが

画廊スタッフに謝っている。

「いいんですよ、先生の絵が大好きで

何時間も、半日ちかくいらっしゃるお客さんもいるくらいなので」

井上直久先生の作品は、いまもたくさんの人を惹きつけているんだ、

その中には私のように、辛い時期を救われた人もいるだろうなあ。

そう思うと、また嬉しかった。

「多層海麗日2020」(版画展ポスター)

 

今日、偶然、伊勢丹へ来て、たまたま広告を目にしたこと、

この版画展を観られたということ。

そのめぐりあわせに、不思議なものを感じた。

帰ってから、本棚の奥から画集を取り出した。

何度も何度もめくった画集。

そうだ、この画集を開けば、いつだって私は、

あのころの自分に会える。

やせっぽちで、自分に自信がなくて、体も弱くて

わがままで、後ろ向きだった私に。

いまの私に会ったら、あのころの私は、

どんな顔をするかな?

がっかりするか?それとも怒り出すか?

それとも、困惑するか?

画集を閉じるころ、私は思っていた。

あのころの自分が喜ぶような自分になりたいなあと。

それは、すごく難しい気がするけれど、

せめてあの頃、私が手にしていなかった

「健康」と、「頑張りすぎず自分を大切にすること」だけは

大切に生きていきたいと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

井上直久先生の書籍>

 

 

 

 

イバラード物語: ラピュタのある風景

虹化石の街へ―井上直久画集

思い届く日―イバラード博物誌〈6〉

旅誘う光の粒

ジブリの森の映画 星をかった日 パンフレット ジブリ美術館限定

 

<過去記事>

miyukey.hatenablog.com

 

miyukey.hatenablog.com

 

miyukey.hatenablog.com

 

 

Xserverドメイン

お名前.com