Miyukeyの気まぐれブログ

愛媛県在住のアラフォー主婦です。本、洋画、訪れた場所などの感想を気まぐれに、かつ自由に綴りたいと思います☆笑顔の扉の”key"を見つけられる毎日になることを祈って♪現在は、仕事繁忙期のため月に2回の更新となっていますが、よろしくお願いいたします☆

竹久夢二の恋が遺したものは 「大正ロマン×百段階段」@ ホテル雅叙園

ずっと行きたかった百段階段。

展覧会「大正ロマン×百段階段」へ行って来ました☆

 

 

 


百段階段は、もう、圧倒的なまでの雅な世界。

そこで堪能する大正ロマンの展示は、女性の心を掴むものばかり。

でも、今回は、個人的にとても好きだった竹久夢二の展示に

スポットを当ててご紹介します。

 

1、百段階段

 

目黒のホテル雅叙園の百段階段。

東京都の有形文化財にも指定された部屋の数々は、

どれも美しくて息をのむばかり。

 

階段の左にある10の数字は、階段の段数。99段まであります。

 

今回は大正ロマンの展覧会とのことで、

ガラスのお皿や香水瓶、アンティーク着物や

ステンドグラスなど、私の大好きなものが盛りだくさん。

 

窓の外の緑とのコントラストが美しい赤のステンドグラス。

 

 

本物のクリームソーダではなく、撮影用のレプリカです。

 

 

 

2、静水の間 竹久夢二と港屋

 

 

「静水の間」に現れる竹久夢二の写真。

大正ロマン」といえば、この人なくしては語れない

「大正の浮世絵師」とも呼ばれた大正ロマンの代表画家。

同時に、恋多き詩人・画家としても有名です。

岸たまき(1912年ごろ撮影 30歳) 写真:wiki 竹久夢二

夢二がその生涯で唯一、籍を入れた女性が、岸たまき。

でもその幸せは長くは続かず、二年の結婚生活に終止符を打ちます。

離婚したたまきと子供たちに持たせた

ファンシーショップが「港屋」でした。

 

 

 

夢二が絵を描き、たまきが文を書いた開店挨拶状。

短い文ながら、たまきの女性らしさが伝わってくるような

文面と筆跡。

 

それにしても、「港屋はいきな木版画やかわいい石版画、カード、

絵本詩集、絵日傘、人形、千代紙、半襟なぞを商う店でございます」・・・

こんな店があったら、雑貨大好きの私は絶対に足しげく通って

ついつい大人買いしてしまったに違いありません!

しかも、竹久夢二のデザインの素敵かわいいグッズが

揃っているとなると・・・一日中、入り浸ってしまうかも。

大正時代の娘さん方が考えることも同じだったらしく

港屋は大繁盛だったといいます。

が、しかし、夢二の多忙が原因で港屋は、

たった二年で閉店となります。

当時の女性たちを虜にして、幻のように消えた店、港屋。

その開店祝風呂敷が、こちら。

 

(大正3年作・開店祝風呂敷)

 

この風呂敷の、すこし妖しげで不思議な世界。

見れば見るほど、面白い図案だと思いませんか。

艶やかな着物姿の女性たち、

柳の下の美女に寄り添うロザリオをぶら下げた宣教師。

港にやって来た大型船を見る女性の肩には

白い大きなオウム。

時計を並べている女性の顔が面白くて、コケティッシュです。

日本らしい風景の中に見られる異国情緒。

竹久夢二ならではのユニークでセンスのある開店祝いですね。

 

3、女同士の火花が見える?港屋の裏側

 

実は、港屋は、夢二の恋の舞台でもありました。

夢二は離婚した元妻・たまきのために港屋を開店したのですが

皮肉なことに、その店で出会った美女・彦乃(ひこの)と

恋に落ちてしまうのです。

彦乃(1918年頃撮影 22歳)写真:wiki 竹久夢二

 

当時32歳のたまきと、18歳の彦乃。

たまきと夢二の間には

諍いが絶えなくなったといいます。

夢二が港屋開店の年に描いた作品には・・・

 

「港屋絵草紙店」(復刻木版画

 

港屋の大きな提灯の前の紳士は夢二自身、

中央にたまき、木の下でしなを作っているのが彦乃です。

この状況で、二人を同じ絵の中に描いてしまうという神経が

すごい。

たまきとは離婚をしていたとはいえ、

その後も同居と別居を繰り返していたそうですから

急に現れた、うら若く美しい恋敵を前に

たまきの心中は、どんなだったでしょう。

 

4、恋多き画家が描く女性美

 

美人画の名手であった竹久夢二

大正13年から四年間、出版された

「婦人グラフ」という女性向け高級グラビア雑誌に

夢二が提供した表紙絵が展示されていました。

この雑誌は当時の富裕層の女性を中心に飛ぶように売れたそうです。

 

大正15年 4月号「エイプリルフール」

「エイプリルフール」という4月号の表紙は

小悪魔的な笑みを浮かべた少女。

 

 大正14年 2月号「化粧」

お化粧をしている女性の横顔は、妖艶な美しさ。

 

大正13年 8月号「花火」

夏の夜に浮かび上がる少女の横顔が切なげ。

 

写真に撮ると、(私の写真が下手なこともあり)

オーラが消えてしまいますが

実物は、夢二の描く女性の美しさ、可愛らしさ、

純粋さの中に潜むいたずらっぽさや艶やかさなどが

本当に素晴らしく、引き込まれました。

女性の美を描くためには、やはり実生活で

周りが見えなくなるほどの恋に身を焦がすということがないと

描ききれないものなのかもしれません。

世界的に見ても、天才画家は好色であり

同時に愛した女性を同じ一枚の絵の中に描くことがあるように思います。

 

恋が生み出すエネルギーと、芸術作品。

女性たちは、惹かれてはならないと思いながらも画家に恋をしてしまう。

でもそれは、きっと愛したことを誇りに思えるような恋だったのだろう、

そうであってほしいと思います。

 

 

5、夢二を取り巻く女性たちの恋の果て

竹久夢二 作 黒船屋 絵画 版画 リトグラフ

 

港屋が生んだ恋には続きがあります。

両親に反対されながらも、彦乃と夢二は

京都へと移り、同棲を始めましたが

彦乃は結核にかかり23歳の短すぎる人生を終えました。

その後も、夢二はモデルのお葉をはじめ、数々の女性と浮名を流しました。

 

竹久夢二 青い酒 F6号 高精彩工芸画 手彩補色 複製画 絵画 額装 【SAK-G4-BN062-F6】

 

夢二は、結核で倒れ、富士見高原療養所で亡くなります。

49歳でした。

結局、夢二に捨てられてしまった、たまきは、

離婚後18年経っていたにもかかわらず

結核にかかった夢二を見舞いに療養所を訪ね

夢二亡き後は富士見療養所で3か月間、無償奉仕をしたということです。

たまきは、終生ずっと変わらない愛情を持ち続けていたのですね。

その健気でひたむきな愛に、同じ女性として心打たれるものがありました。

 

ちなみに、夢二が亡くなった富士見療養所は

堀辰雄の小説「風立ちぬ」の舞台にもなり、

実際に堀辰雄が婚約者を亡くした療養所です。

この当時は、多くの人々が、結核によって命を落としたのです。

コロナ禍の時代を生きる私たちと同じように、

あるいはもっと大きな

感染症に対する不安と恐れとともに人々が生きた時代だったのです。

 

 

4、最後に  雅な空間で堪能する大正ロマン

 

美人画で名を馳せた竹久夢二の恋と芸術。

百段階段では、夢二の展示は一室だけですが、

その魅力と世界観を垣間見ることができました。

なんといっても百段階段の装飾そのものの

雅で優美な空間で、夢二の作品をはじめ

様々な大正ロマン作品を味わえるというのが最大の魅力です。

 

もっと早く行ければよかったのですが、会期がギリギリでした。

2022年6月12日まで

気になる方は、ぜひ☆

今後の百段階段の催しにも注目です☆

 

 

 

 

最後までお読み頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

       

 

 

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