Miyukeyの気まぐれブログ

愛媛県在住のアラフォー主婦です。本、洋画、訪れた場所などの感想を気まぐれに、かつ自由に綴りたいと思います☆笑顔の扉の”key"を見つけられる毎日になることを祈って♪現在は、仕事繁忙期のため月に2回の更新となっていますが、よろしくお願いいたします☆

忘れられない桜  

忘れられない桜があります。

それは、私が関東に移り住んで初めて行った靖国神社の桜。

もう5年も前のことです。

靖国神社の桜は約500本あるそうです。

東京管区気象台が指定した標本木もあります。

しかし、私が最も心に残っているのは献木札が幹にかけられた桜です。

 

「献木 昭和57年3月28日 海軍十三年桜 昭和十三年入団者有志」

 

 

境内では、至るところに、このような献木桜を見かけました。

 

左)「八重桜 昭和47年11月19日 陸軍少年飛行兵 第十五期生 生存者一同」

中央)「献木 鉄兵の桜 昭和47年6月18日 支那駐屯歩兵第一連隊戦友会」

 

右)「陸軍士官学校 第六十期生 昭和57年5月8日」

 

 

靖国神社の桜は、これまで見たどの桜とも違っていました。

「儚さ」というより、「ほとばしる生命」を感じました。

生き残った者と犠牲になった者、そして後の世に生まれたわたしたち。

桜の花が、私たちみんなの想いを受けて、天に向かって枝を広げている・・・

一歩間違えば自分が犠牲になったかもしれない、

そんな状況下で友を、家族を、かけがえのない大切な人を失った方々の想い。

桜が美しければ美しいほど、胸に迫るものがありました。

 

 

 

ここにある一本一本の桜には、意味がある・・・

平和の尊さ、また、現代の豊かな日本の礎となった多くの命。

お国のために、潔く散ることをよしとされた時代に

若くして命を散らした人々の運命を、

そして戦火をくぐって生き延びた人々の気持ちを考えずにはいられません。

 

 

忘れません、桜を通して感じた、命の尊さを。

 

 

 

私は、もう20年近く、日記をつけていて

外出した日のことは必ず、特に感動したことは詳細に書き留めています。

でも、唯一、日記に書いていない日が一日だけあります。

それが、この靖国神社を訪れた日のこと。

書こうと思って、数ページ空けてあるのですが、いまだに白紙のままです。

靖国神社の桜が忘れられない理由は、とても個人的なことですが

実はもうひとつあるのです。

 

 

靖国神社でお花見をした次の朝、

大阪の母から電話があり、大叔母の容態がおかしいと聞きました。

埼玉から大阪へ向かうため、大急ぎでトランクに荷物を詰め込む私に母が言いました。

「喪服を持ってきなさい」と。

でも私は持ちませんでした。あまりにも信じられない、信じたくもなかったからです。

 

 

数か月前、お正月に一緒に食卓を囲んだとき、大叔母は

いつもと変わらない明るい笑顔で、

よく響く大きな声でいっしょに笑い、食べ、お喋りしたのに・・・

幼い頃に大病をした大叔母は生涯独身で、

私のことを孫のように可愛がってくれました。

一人っ子の私にとって親友のような、大切な存在でした。

新幹線に飛び乗り、病院に着いたときには

大叔母の意識はなく、私を待っていてくれていたかのように、

30分後に息を引き取りました。

 

なぜ、もっと早く帰省しなかったのだろう?

靖国神社にお花見になんて行かず、せめて一日早く帰っていれば

まだ笑顔の大叔母に会えたのに、

いっしょに食事できたのに、話せたのに・・・

1か月ほど前から、あまり体調は思わしくないと母から電話できいてはいたものの

大叔母の元気いっぱいな姿のイメージしかない私には

そんなにすぐにどうこうなるという危機感が全くなかったのです。

人間は、いつが最後になるかわからない・・・

わかりきっていることだけれど、知っているはずだったけれど

実感として、初めて知った気がしました。

風が吹けばすぐに散るあの薄い桜の花びらのように

私たちの命も、偶然に偶然が重なって奇跡のようにいま、

ここに生きているにすぎません。

 

 

呑気に桜の下で笑っている自分の写真を見たくなくて、

靖国神社の写真を見返すことはありませんでした。

日記にもブログにも書くことがなかったのは、そのためです。

でも、忘れていたわけじゃなく、

むしろ、あの日の桜は

いまも、これからもずっと私の心に咲き続ける桜です。

命の大切さ、命が有限だということ、

愛する人を喪う悲しみ、

いま、今日この日を精一杯生きること、

いま自分の前で笑っている人が、明日も同じようにここにいるとは限らないこと・・・

たくさんのことを私に思い出させてくれる桜なのです。

 

 

大叔母は、広島の原爆にあい、戦火の中を生き抜いた人でした。

幼い頃から私に平和の尊さ、戦争の恐ろしさを語って聞かせてくれた人でした。

だから、私が靖国神社の満開の桜を見て、戦争で亡くなった人々の想いに心を馳せた、

その次の日に大叔母が亡くなったことは、

全くの偶然ではない気がするのです。

あの美しい桜を、大叔母が見せてくれた。そんな気が、いまはするのです。

いつかまた、天国で大叔母に会えたなら、

話せなかったこと、思い出話、そしてあの日の桜のこと、

いっぱい話そうと思います。

いまも、大叔母は天国で笑っていると思うから。

その日まで、待っていてね!

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

追記>

最近、ついに初めてのコロナにかかってしまい、

ブログ更新がすっかり遅れてしまいました。

もう桜はとっくに終わり、若葉の季節ですね。

どのようなGWをお過ごしでしょうか?

楽しい5月をお過ごしください。

 

 

 

 

 

 

 

<過去記事紹介>

 

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