Miyukeyの気まぐれブログ

愛媛県在住のアラフォー主婦です。本、洋画、訪れた場所などの感想を気まぐれに、かつ自由に綴りたいと思います☆笑顔の扉の”key"を見つけられる毎日になることを祈って♪現在は、仕事繁忙期のため月に2回の更新となっていますが、よろしくお願いいたします☆

今村夏子の短編集「父と私の桜尾通り商店街」 世界を切り取る切なくも衝撃的な7つのストーリー

最近読んだ今村夏子の短編集「父と私の桜尾通り商店街」。

そこに収められた7篇の小説に衝撃を受けました。

今回は「父と私の桜尾通り商店街」の一冊を通して

今村夏子作品の魅力についても、考えていきたいと思います。

ネタバレは一切ありませんので安心して最後までお読みください。

 

父と私の桜尾通り商店街 (角川文庫)

 

 

 

 

1、息をつくひまもないほど惹きつけられる「何か」

 

私は読むのは遅いほうです。

一冊の本を一気に読んでしまうというよりは、

ゆっくりちびちびと文体や空気感を味わうように読む読書のほうが

自分に合っていると思っています。

が、今村夏子さんの小説だけは、例外です。

息をつく間もないくらい、まばたきするのも惜しいくらいに

引きづりこまれてしまう。

何を置いても読み切らなければならない、

読み終えざるをえない「何か」が、そこにはあるのです。

その「何か」は、文体の読みやすさかもしれません。

ストーリーの面白さかもしれません。

でも、それだけではなく、行間に潜んでいる

直接的には書かれていない登場人物の心理や、闇、

そこから感じる、ざらざらとした違和感に、

最も惹きつけられるのです。

 

桜尾通りでパン屋を営む父を手伝う「私」。母親の不倫によって肩身の狭い生活をしてきた父娘は、ついに長年続けたパン屋を閉める決意をするが・・・(「父と私の桜尾通り商店街」)

 

 

2、フツーじゃない!主人公たち

 

今村夏子作品に描かれる人々には、

共通点があります。

それは「フツーではない」ということ。

「ひたむき」で、

周りが見えないほどに「一生懸命」であるということ。

当の本人は、周りの人と同じように生きているつもりなのに

世間一般の常識からは、はみ出してしまっている。

ちょっとみじめで、不恰好で、でもすごくひたむきだから

応援したくなるけれど、

そういう人が上手く生きていけるほど、

世の中がナマ易しいものではないことは、

私たちが一番よくわかっていることです。

「フツーではない」、おかしな存在である人々を書いているにもかかわらず

本当にどこにでも誰にでも起こりうる日常、

ああ、こういうことって、確かにあるなあと頷いてしまう

いやにしっくりくる出来事が描かれているところが、

今村夏子という作家のすごさだと思います。

「父と私の桜尾通り商店街」は、短編集ですが

その短い作品の中には

確かに私たちが生きるこの世界が息づいていて、はっとさせられます。

 

 チアリーダーになることが夢だった「なるみ先輩」は、ある日、神社で一人の女性と出会う。見違えるほどの美女になったなるみ先輩は、誰にも言えない恐怖を抱えていた。(「ひょうたんの精」)

 

 

3、ハッピーエンドがハッピーエンドじゃない

 構想を練る時は、毎回ハッピーエンドにしたいと思うのですが、書き進めるうちに、悲しい終わり方になることが多いです。

(今村夏子インタビュー 「解説」より)

 

この言葉通り、「父と私の桜尾通り商店街」の7篇の小説も

ハッピーエンドからは、ほど遠いエンディングになっています。

けれど、著者である今村夏子さんが、なんとかハッピーエンドに近い状態で

終わらせようとした痕跡が見えるエンディングもあります。

主人公が切に欲しいと願ったものを最後に手にするラストの一方で、

それまで手にしていた大切なものを失うことにもなるのです。

願いは叶えられても「ハッピーエンド」にはならない。

それも今村夏子作品の良さのひとつだと思いました。

 

ぐいぐいと読み進めた後に残る

違和感と、胸を突く衝撃の中に

私たちは、きっとこの世の中を見つめる

今までとは異なる視点を見いだすことができるのではないでしょうか。

 

大好きな婚約者とのクリスマスイブデートを心待ちにする「私」。ところが、押しの強い婚約者の姉にイブ当日、子守を頼まれ予期せぬ事態に・・・(「白いセーター」)

 

4、今村夏子の世界が堪能できる

        「父と私の桜尾通り商店街」

 

 

私が7篇の中で一番好きだった「白いセーター」。

高級レストランやお洒落な場所など行ったことがない

「私」と婚約者は、

クリスマスイブに、いつものお好み焼き屋でデートをする予定を立てます。

婚約者からプレゼントされた

大切な白いセーターを着ようとする「私」。

シンプルなストーリーながらも

やるせなくて、心に刺さって、切ない。

短い作品の中に、

主人公とその婚約者のこれまで過ごしてきた日々が見えるように思いました。

お互いに口には出さない、

けれど緊迫した空気の中に流れる二人の心理が痛いほど

伝わってくるのです。

圧倒されながらも、出会えてよかったと思える一作です。

 

「ひょうたんの精」は不思議で面白い話。

まるまると太った女子中学生だった「なるみ先輩」が、自分の体形に悩み

泣きながら神社に逃げ込むと

ピンクのTシャツに丸刈りの女性ホームレスに出会います。

その時から、なぜか七福神が体の中に入り、

なるみ先輩の体の栄養分を吸い取るようになり、

どんどん痩せていく・・・

念願のチアリーダーになり羨望の眼差しを向けられるのですが・・・

最後の方で、「なるみ先輩」が笑いながら泣き、

サンドイッチを頬張るシーンがあるのですが、

読者の私も、同じような気持ちになります。

つまり、ユーモラスで面白い、

それなのに、とてつもなくやるせない、切なさのある一篇だと思いました。

 

その他、土木作業員に恋してしまった、ひたむきな学童の先生の話「モグラハウスの扉」、

閉店間近のパン屋で、

ある一人の女性との出会いから偶然に生まれたサンドイッチが思わぬ好評を得る

表題作。

子どものいない主婦の家にあった知育人形に、心の闇を描き出す

「ルルちゃん」。

出産したばかりの女性とその周りの人々を描く

文庫描き下ろし「冬の夜」。

スナックで働いていた女性たちがママの誕生日に集まる「せとのママの誕生日」。

どれもが、今村夏子の世界を堪能できる珠玉の作品ばかりでした。

 

工事現場の作業員「モグラさん」は、遊びに来る子供たちに、マンホールの下には「モグラハウス」という巨大な娯楽施設があると話す。(「モグラハウスの扉」)

 

4、最後に 

 

人は、なぜ小説を読むのでしょう。

その答えは、人によってそれぞれです。

今村夏子の小説を読んだことがある人ならわかると思いますが

この「父と私の桜尾通り商店街」もまた、

スカッと後味の良い楽しい小説ではありません。

不気味で、不穏で、痛い。

それなのに、どうして私は、この小説を

こんなに愛してしまうのか?と考えてみました。

それは、私たちが毎日の中で漫然と抱えている不安や違和感、

言い表すことのできない感情を

この小説は、端的に表現してくれているからだと思うのです。

だからこそ、私はこの一冊に衝撃を受けるのだと思い当たりました。

私たちが生きる世の中は、取り巻く世界は、

今まではっきりと意識していなかったけど、確かにこういうものだと

ラストでは必ずうなづきたくなりました。

現状に満足できなかったりして辛い時は、

からりと明るい作品を求めがちになりますが、

私はそういうときにこそ、この小説を読みたいと思います。

父と私の桜尾通り商店街 (角川文庫)

もし機会がありましたら、ぜひ読んでみてくださいね。

 

最後までお読み頂き、ありがとうございました。

 

 

 

<今村夏子の小説についての過去記事>

 

miyukey.hatenablog.com

 

miyukey.hatenablog.com

 

 

 

 

 

Xserverドメイン

お名前.com