Miyukeyの気まぐれブログ

愛媛県在住のアラフォー主婦です。本、洋画、訪れた場所などの感想を気まぐれに、かつ自由に綴りたいと思います☆笑顔の扉の”key"を見つけられる毎日になることを祈って♪現在は、仕事繁忙期のため月に2回の更新となっていますが、よろしくお願いいたします☆

ヤオコー川越美術館(三栖右嗣記念館)は、きらめく生を感じる感動の美術館(写真と感想)

初めてヤオコー美術館へ足を運んだのは、7月のこと。

川越氷川神社には何度も行っていたのに

そのすぐ近くのヤオコー美術館を知らずに帰っていたとは・・・

無知とは恐ろしいことです。

この美術館の存在を教えてくださった

ブログ友さんに感謝です☆

人間の「生」の美しさを感じられる、この美術館が大好きになりました。

今回は、私が特に感動した作品をご紹介します。

 

1、スーパー・ヤオコーが運営する美術館

 

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川越・氷川神社の裏手に回り、

緑で満ちた美しい川を渡ると、ヤオコー美術館があります。

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ヤオコー美術館は外観もスタイリッシュで美しい。



スーパー・ヤオコーが2012年に開館した美術館。

ヤオコー本社には社員に本物を見る目を養わせるために

三栖右嗣の絵画が各階に飾られているとか。

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八百幸1号店。埼玉県立小川高等学校社会見学部生徒の作品

 

展示室入口の模型。

いまや関東一円に支店がある大型チェーンスーパー、ヤオコーは、

こんな小さな「八百幸(ヤオコー)」から始まったのですね。

 

2、ラウンジ と絵画「爛漫」

 

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ピアノとテーブルが置いてある白を基調にしたラウンジには

息を呑むほどに美しい桜の花の絵画が。

 

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「爛漫」 1996年

 

陽光の中で、いまを盛りと咲き誇る桜、

そしてその向こうに、たゆたう青い水・・・

左にはカワセミが飛んで行きます。

三栖右嗣が晩年に全力を注いで完成した

超大作。

それは息を呑むような美しさで、

いまも私たちの心を魅了してやまないのです。

このラウンジでは飲み物の提供があり、

ゆったりと椅子に座って、美しい絵画を鑑賞することができます。

まるで桜が満開に咲き乱れる川辺にいるかのような気分です。

 

3、第一展示室

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絵画の美しさを際立たせる洗練された建築。

 

    ☆「マルガリータ」  青春の陰鬱

 

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マルガリータ」 1995年


ヨーロッパの青春映画のワンシーンを切り取ったような一作。

アンニュイな少女の表情を見つめていると

その胸の中の揺れや思春期特有の研ぎ澄まされた感覚が、

伝わってくるように思えました。

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不安、いら立ち、切なさ・・・何か嫌なことがあったわけではないけれど

理由もなくいつも胸の中にあった複雑な感情。

あの頃、絶えず揺れ動いていたたくさんの感情を

もてあましていたことを思い出しました。

誰もが通る「思春期」・・・

「少女」だった時を過ぎて、今があるのですね。

少女の右から差し込む日の光の温かさ。

でも、それを「あたたかい」と思えず、

切なく感じてしまう

少女の不安定な心の内が

こちらまで伝わってくる一作です。

 

☆「ナガール」「潮風・ひかり」  少年たちのむき出しの「生」

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(左:「ナガール」 1985年  右: 「潮風・ひかり」 1973年

 

少年たちの「命」を感じさせる作品。

今、この一瞬を、太陽の光に目を細めながら駆け抜ける

あまりに無邪気な、むき出しの「命」。

笑い声が聞こえてきそうな臨場感あふれる描写が

胸を打ちました。

 

 

第一展示室には風景画もたくさん展示してありましたが

印象に残ったのは少年少女たちの

一瞬の表情を捉えた作品群です。

その「一瞬」の中にきらめく命。

これらの絵画は静止しているようで、止まっていない。

キャンバスの向こうに世界を、時の流れを、

そして少年少女たちの「生」を感じるのです。

 

4、第二展示室

 

   ☆「爛漫」 完璧なまでの平穏

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「爛漫」 1997年


「爛漫」という作品の前では、

その美しさに言葉を失い、息をのみます。

完璧なまでの平穏。

時が止まったかのような静けさ。そして温かさ。

満開の桜が咲きこぼれるその下の

赤ん坊を抱いた母親。

世界でたった一人の、大切な我が子を見つめる母親の眼差しが

優しくて、温かくて。

これからの未来にはばたく無限の可能性を秘めた赤ん坊という存在が

宇宙をも感じさせます。

完全に母と子だけの世界であるこの絵画の中に

胎内の母子の繋がりをも感じ、限りない平穏が漂っています。

いつまでもこの絵の前に佇んでいたいと思う一作でした。

 

    ☆「光る海」 沖縄の海を切り取る

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「光る海」 1997年

 

海は広くて、世界中に繋がっているけれど、

海の表情は、場所によって全然ちがうと私は思っています。

青とも緑とも言い難い、この深い海の色は、沖縄にしかないブルー。

「光る海」を見ていると、穏やかな波の音、吹き渡る潮風を感じ

胸がいっぱいになりました。

絵画の美しさに吸い込まれると同時に

懐かしさと切なさと甘酸っぱい気持ちで満たされ、

泣きたくなるような不思議な魅力に溢れる一枚。

 

☆「老いる」「生きる」 

       生と向き合う真摯な眼差しと溢れる愛情

 

これまで展示されていた、息をのむ美しさ、

うっとりとまどろむような平穏な作品群から一転し、

「老いる」「生きる」の二作は人間の「生」を真正面から見つめた作品。

 

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「老いる(習作)」 1974年

 

第19回安井賞展で安井賞を受賞した「老いる」の習作。

(本画は東京国立近代美術館所蔵)

実はこの作品のモデルは、母親です

 

当時、作家は次のように語っています。

「他人にとっては汚いシワにしか見えないだろうが、

私にとっては、一つ一つのしわが私が苦労をかけた想いに

つながっている。

シワの一筋一筋が私自身だ。」

「老いた母を写生している間中、涙が止まらなかった」

引用:ヤオコー川越美術館案内パンフレット

 

母親が生きてきた証であるシワやシミ、やせ細った肉体に

注がれる三栖の視線から愛情が溢れ出し、

観るものを捉えて離しません。

「老いる」の受賞によって

写実画家としての地位が確立したその年、

母親は亡くなったそうです。

 

その隣には、「生きる」(1974年)が展示されています。

ベッドに横たわる裸の老人。

やせ細ったしわだらけの身体、眠っているのでしょうか、

目は閉じ、口は半分開いています。

「老い」は、生きていれば誰もが必ず直面するもの。

妥協のない視線は、三栖の画家としての「命」を描きたいという

気持ちの表れであると感じました。

きれいごとでは決して語れない、「生きる」ということの

現実を突き付ける作品に胸を打たれました。

 

 

5、最後に    

 

三栖右嗣が、絵画にこめたもの。

一瞬の表情の中にきらめく

思春期の少年少女の憂鬱や無垢な心、

満開の桜の下の母子の完璧なまでの平穏。

この世にあるもの全てが、移り変わって行く中で

その一瞬に輝くものを描きとめた三栖右嗣の作品は

美しく、時にうっとりと見入ってしまいます。

けれど、表面的な「美」にとどまらず、

人間の老い、生、命というものに目を向けた「老いる」「生きる」は

衝撃的でありながら、愛情と、現実を見据える視線に満ちたものでした。

三栖右嗣という画家が生涯をかけて追い求めた「美」、

その集大成であると思います。

美しく、感動のヤオコー川越美術館、

川越を訪れた際はぜひお立ち寄りください。