Miyukeyの気まぐれブログ

愛媛県在住のアラフォー主婦です。本、洋画、訪れた場所などの感想を気まぐれに、かつ自由に綴りたいと思います☆笑顔の扉の”key"を見つけられる毎日になることを祈って♪現在は、仕事繁忙期のため月に2回の更新となっていますが、よろしくお願いいたします☆

わくわくが止まらない!「上野リチ展」 笑顔になれる最強デザイン

最近、何にワクワクしましたか?

胸が高鳴る経験をしましたか?

最初から最後まで、ずっとワクワクしっぱなし、

胸がときめいて、ついつい笑顔になれる・・・

そんな魔法のような「上野リチ ウィーンからきたデザイン・ファンタジー展」   へ行って来ました。

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東京都 三菱一号館で、現在開催中です。(2022年5月15日まで)

もう行った方も、行く予定の方も、興味のない方も、

元気が出ること間違いなしの上野リチ作品をご紹介しますので

最後までお付き合いください。

 

1、上野リチ・マジックに魅せられて

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 ボンボン2     1925-1935

 

展示室に入るなり、「わぁー」と声を上げたくなるような

カラフルでかわいいデザインに、

思わず笑顔がこぼれます。

絵画作品を観て感じる「感動」とは、また違う・・・

どんなに心が曇っていようと、見る人の心を元気にしてしまう力が

上野リチ作品にはあるのです。

だから、没後半世紀以上経ったいまも、

こんなにも多くの人に愛されているのでしょう。

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 クレムリン  1929

 

「この作品には、元気をもらえる!」

そう思える作品を、今まで、たくさん観てきました。

けれど、上野リチ作品は、少し違います。

元気を与えてもらえる、というよりは、

人の心に眠っている、あるいは、

日々の雑多なネガティブな感情によって

弱ってしまったエネルギーを湧き上らせてくれる、

揺り動かしてくれる、そんな作品群だと思いました。

 

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 そらまめ  1928

 

100年近くも前に描かれたデザインを見て

現代の私たち皆が一様に笑顔になれる、元気になる、ワクワクして

目を輝かせられる・・・

そんな素晴らしい作品を生み出した

上野リチという女性は、どんな人生を歩んだのでしょうか。

 

2、上野リチが見た日本 ウィーンから嫁いで

 

オーストリア、ウィーンの実業家の長女として生まれた

リチ。(本名:フェリーツェ・リックス)

何不自由ない裕福な暮らしをしながら、夢見たのは

ウィーン工房で働くことでした。

そしてその夢は現実のものに。

リチはメキメキと頭角をあらわし、デザイナーとして活躍することになります。

32歳の時に、ウィーンのパーティーで出会った

日本人建築家、上野伊三郎と結婚、33歳で日本へ渡ります。

その後、生涯の半分以上を京都で過ごすことになるのです。

 

日本へ移り住んだばかりの頃に描かれた一枚の絵があります。

「日本の国」。

 

 

f:id:Miyukey:20220417120336j:plain写真:ウィーン発の「カワイイ」。三菱一号館美術館「上野リチ : ウィーンからきたデザイン・ファンタジー」展フォトレポート|Tokyo Art Beat

 

愛する人と一緒だとはいえ、

大切な家族や友達と離れ、日本に嫁ぐことに

不安や寂しさはなかったのだろうか?

文化も習慣も、言語も風土も異なる日本を

リチは、どう見ていたのか?

私はいろいろと想像を逞しくしてしまったのですが

この「日本の国」をはじめ、「東京」「九州」などの作品から

リチの心が感じた「日本」を見ることができた気がしました。

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 日本の国  1923〜1928

 

デザイナーとして、また一人の表現者として、

全く異なる文化の中に身をおくことを、

リチは意外と楽しんでいたのかもしれません。

冒険心、探究心、好奇心の強い自由な心を持った女性だったのではないでしょうか。

生まれて初めて見る世界に子供のように胸を躍らせ

目を輝かせていたリチの気持ちが伝わってくる気がしたのです。

 

 

その一方で、生涯、日本語をほとんど話さなかったリチ。

58才から京都市美術大学で教鞭を執るも

ほとんど言葉を発せず、ドイツ語一辺倒。

その態度には、当時の学生も衝撃を受けたといいます。

不便も多かったのではないかと思いますが、

母国に対する誇りや並々ならぬプライドがあったのかもしれません。

 

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「花鳥図屏風」     1935

屏風も、リチの手にかかれば、このとおり。

リチ・ワールド全開のかわいい屏風になります。

屏風の中を闊歩するカラフルなクジャクたち。

日本の文化を吸収しつつも自分らしい表現を磨いていった

表現者としてのリチを感じます。

 

その後も、リチはウィーンと日本を行き来して制作を続けます。

 

3、帰る家が無くなっても変わらない

         色鮮やかな「かわいい」

 

戦火が激しくなると、リチは

京都市染織試験場で輸出染織品のデザインを手掛けることに。

ちょうどその頃、ウィーンではナチスの勢力が強まり

ユダヤ系であったリチの家族は亡命。

リチは故郷の家を無くします。

どんなにか不安で心配だっただろうと思うのですが

リチは色鮮やかなデザインを作り続けます。

 

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苺  1935〜1944

 

ハッピーが溢れ出る作品群からは、

戦争の暗い影は見えません。

リチは、人々が欲するもの、あるいは自分が求めるものを生み出そうとしたのでしょうか。

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 象と子ども  1943

 

南方へ輸出するために描かれたデザイン。

可愛くて、素敵で、

そのまま持ち帰りたいくらいでした☆

 

 

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 鳩 1935〜1944

真っ白な鳩とカラフルな花がハッピーな一枚。

戦時中に平和の象徴とされる白い鳩を描いたのは

家族や世界平和を祈ってのことなのか否か・・・??

 

 

4、自由であれ、自分の表現を極めよ

        生涯変わらなかったモットー

 

京都市美術大学で教鞭を執った58歳のリチは

非常に厳しい教師であったといいます。

模倣や、ありきたりなデザインをした学生には、

顔色を変えて大声で怒鳴りつけ

たどたどしい日本語で

「もうデザインなんかやめなさい!!」と怒り狂ったとか。

リチが一番に大切にしたのは

「自由」そして「独創性」。

下手でもいいから、自分にしか描けないものを描く・・・

リチが学生たちに教えようとしたことは

自分の創作のモットーだったのでしょう。

自由で、楽しく、のびのびとした作品の数々。

だからこそ、リチの作品は「かわいい」だけではなく

そこに力強さや美しさ、エネルギーと言ったものまで

感じさせるのだと思います。

そしてまた、時代を経ても、

「新しい」と思わせる斬新さがあるのです。

 

74才でこの世を去るまで、リチの創作意欲は衰えることは

ありませんでした。

来日してからも、戦争中も、年を重ねてからも、

環境や境遇に左右されることなく

リチは一貫してカラフルで楽しい作品を生み続けました。

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 あじさい  1955

 

この展覧会を通して、リチの作品世界とともに

上野リチという一人の女性の生き方も

感じられる気がしました。

それは、一本、芯が通った力強い女性像。

住む場所や時代、境遇は変わっても、

いつも「自分らしい表現とは何か」、

「自分にしか生み出せないものは何か」という

心の声に忠実に創作をした人だったのではないでしょうか。

 

 

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野菜  1955

 

リチは、夫、上野伊三郎が建築を手がけた個人邸宅やバーの

壁画・内装デザインも担当しています。

「芸術で世界を変えたい」

共通したその想いを夫婦で持ち続け、共同で仕事に励んだ二人。

子どもには恵まれませんでしたが、二人の生み出した作品の数々は

人々の記憶に残るものとなりました。

 

5、最後に  リチが追い求めたファンタジー

 

展覧会場ごと、ぜーんぶ持って帰りたい!!

こんな素敵な作品に囲まれていたなら、毎日が楽しくなりそう!!

そう思ったのは、私だけじゃなく

展覧会へ足を運んだ人の多くが抱いた想いだったのでしょう。

ミュージアムショップの熱気に、それが現れていました。

飛ぶように売れるリチ・グッズ。

売り切れも続出で、すでに完売した商品も・・・

リチのデザインを身の回りに置いておきたい、

という気持ちは、ただそれが「かわいい」からだけではないはずです。

この展覧会で感じたワクワクを、

エネルギーが心の底から湧き上るこの感覚を、

上野リチという、ウィーンから日本へ嫁いだ一人の女性の眼差しを

「忘れたくない!!」のです。

リチが生きた時代も、現代も、そしてこれからも

生きていく限り、人は雑多な感情に左右されます。

それでも、この展覧会の「体験」、胸が踊る感情を思い出せたなら

きっと前を向くことができる、そんな気がしました。

上野リチが生涯をかけて魅せた「ファンタジー」は

これからも、私たちを魅了し続けていくのでしょう。

 

 

 

 

 

こまごまと買ってしまいました。

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ミュージアムショップで買ったものの一つ。

リチの七宝焼きのデザインの紙箱。中には老舗の京飴が入っています。

f:id:Miyukey:20220417113624j:plain デザイン:馬のサーカスⅡ 

 

 

三菱一号館は美しく、どこを見てもフォトジェニックな空間でした☆

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