Miyukeyの気まぐれブログ

愛媛県在住のアラフォー主婦です。本、洋画、訪れた場所などの感想を気まぐれに、かつ自由に綴りたいと思います☆笑顔の扉の”key"を見つけられる毎日になることを祈って♪現在は、仕事繁忙期のため月に2回の更新となっていますが、よろしくお願いいたします☆

ベートーベンの第九を今年末にこそ聞きたい理由☆秘められた想いに耳を澄まして

クリスマスが終われば、新しい年は、もう目の前。

この時期を、どのように過ごしますか?

大掃除で家の中をすっきりと清める方もいれば

新年の準備で大忙しの方もいるでしょう。

私は、近年、年末には必ずベートーベンの第九を聴きたくなります。

年末に第九(交響曲第九番)を聞く習慣は、日本ならではのものだとか。

いつもはクラシックを聴かない方も(←実は私もそうです)

年末だけはベートーベンを聴く、という方もいるかもしれません。

2020年は、いつにも増してベートーベンの第九が心に響く年。

今回はその理由を挙げていきたいと思います。

 

1、ベートーベン生誕250周年

 

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ベートーベンの第九が初演されたケルントナー・トーア劇場は、今は取り壊され、跡地にホテル・ザッハーが建てられています。(Photo by Miyukey 2018.9.19ウィーンのホテル・ザッハーにて撮影)

 

2020年はベートーベンの生誕250周年ということもあり

新年のウィーンフィルニューイヤーコンサートでは

たくさんの楽曲が取り入れられたり

様々な演奏会やコンサートで演奏されるなど

いつもよりもベートーベンが身近に感じられた年でした。

コロナ禍により、コンサートや演奏会は中止になったものも多かったとはいえ

日本でもテレビ番組が組まれるなど

何かと注目されていましたよね。

でも、実はベートーベンの誕生日は12月16日。

生誕250周年は始まったばかりなのです。

250年前、ドイツのボンに生を受けた天才作曲家。

波乱万丈の人生を生き、苦難の中で多くの曲を残したベートーベン。

今年から来年にかけては、その作品の数々を

改めて聞き直す良い機会ではないでしょうか。

 

2、歌詞が心に刺さる

 

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音楽旅行のためにベートーベンが訪れたプラハ。(Photo by Miyukey 2018.9.21チェコプラハにて撮影)

 

第九の歌詞は、ベートーベンが生涯を通して愛読した詩人

シラーの詩「歓喜に寄せて」を

ベートーベン自ら歌詞として書き直したものです。

その一部を抜粋してご紹介します。

 

 

あなたの魔力は 

世界が激しく分け隔てるものを 再び結びつけ

すべての人々は 

あなたの優しい翼のもとで 兄弟となる

 

わが抱擁を受けよ 百万の人々よ

この口づけを全世界に

兄弟たちよ 星空のかなたに

愛する父は 必ずや住みたもう

 

歓喜よ 美しい神々の花火よ

楽園からの乙女よ

 

「ららら♪クラシック」(NHK 2020年12月12日放送)より

 

 

ベートーベン研究の第一人者である音楽学者、平野昭さんは

「”あなたの奇しき力を持って再び結びつけてください

この世の習わしが厳しく分け隔てたものを”という歌詞は、

世の中が分かれてしまっているもの、

あるいはコロナ禍・・・こういったものを不思議な力によって

もう一回結び付けてほしいと・・・。

そう考えれば第九というのは、今年を象徴する曲だと思います

と語っています。(「ららら♪クラシック」NHK 2020年12月12日放送)

たくさんの人々が「会いたくても会えない」という葛藤を抱えた今年。

第九の歌詞は、時代を超え、

私たち自身の祈りの言葉として胸にズシリと響きます。

 

3、最後の交響曲

 

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22歳でウィーンに移住したベートーベンは終生、この街で暮らすことになる(Photo by Miyukey 2018.9.19 ウィーンのコールマルクト通りにて撮影)

 

ベートーベンがシラーの詩「歓喜に寄せて」に出会い

曲をつけることを思いついたのは、まだ若干22歳の時。

それ以来、多くの曲を書きながらも、長きにわたり構想を練り続け

完成したのは死の3年前、53歳の時。

第九は、ベートーベンが書いた最後の交響曲となりました。

 

幼い頃から「モーツァルトの再来」と言われ

早くからその才能を発揮したベートーベン。

しかし、酒びたりの父には収入をあてにされて

虐待に近い厳しい特訓を受けさせられるなど

その幼少期は苦しみに満ちたものだったようです。

20代で作曲家の命とも言われる聴力の衰えが始まり

40代で全聾となりました。

聴力を失っても曲を作り続けたベートーベン。

53歳で書いた交響曲第九番を作曲した際は

全く耳が聞こえない状態でした。

時代を超え、国を超え

これほどまでに多くの人々に愛され、

感動を与え続けている交響曲第九番を、

ベートーベンは、生涯、自分の耳では聴くことができなかったのです。

 

ベートーベンが第九にこめた想い。

それは、人々が兄弟のように愛し合い

一つになって平和に暮らすことで満ち溢れる歓喜を願う祈りだったのかもしれません。

聴力を失い、一時は自殺を考え遺書まで書いたベートーベンが

亡くなる数年前に曲に込めた祈り。

それは「生きる」ことの歓喜

人々の「繋がり」に対する熱望だった気がしてなりません。

 

4、情熱と創作意欲

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ベートーベンは様々な疾患による苦しみを軽減するため、湯治のためプラハの近くの温泉地を訪れたそうです。(Photo by Miyukey 2018.9.21 プラハにて撮影)

 

ベートーベンは重度の難聴の他にもたくさんの病を抱えていました。

第九を完成させた後、様々な治療を続けた末に、

こんな手紙を医師宛てに送っています。

「私の骸骨を死神には渡しません

私はまだ神々の楽園に旅立つ前に

魂が啓示し命ずるところを完成しなければならないのです」

(「ららら♪クラシック」(NHK 2020年9月25日放送)より

 

しかし、死の手は、すぐそこまで迫っていたのです。

死の床で、ベッドに横たわりながらも交響曲第十番を作曲しますが

未完に終わりました。

最後の瞬間まで創作意欲を失わず、希望と野心に燃えていたベートーベン。

残された時を惜しむように作曲を続けた姿が目に浮かぶようです。

 

ベートーベンほどの天才と凡人との人生を同じように考えるのは

おかしいかもしれませんが、

彼の生涯を改めて見つめ直したとき

「自分はこれほどまでに命を燃やして情熱を持って打ち込める何かを

持っているのだろうか」

と問わずにはいられません。

命がついえるその瞬間まで作曲家であり続け

新しい曲を生み出そうとしたベートーベンの情熱を思うと

健康でいられる自分の時間の使い方と生き方を

改めて考えずにはいられませんでした。

 

5、最後に

 

56年という短い生涯でベートーベンが私たちに残してくれたものは

はかりしれません。

年末に第九を聴く・・・という

「にわかクラシックリスナー」の私でも、

その美しく壮大な世界観には心を打たれます。

コロナ禍で、不安や葛藤を抱え、

苦難の年を過ごした人も多かった2020年。

でもその中で人々の優しさや愛情、繋がりも

実感できた年だったのではないでしょうか。

そんな一年を振り返りながら、

ベートーベンの第九を聴き、そこに込められた想いに

耳を傾ける年末を過ごしたいと思います。

皆さまも、どうか楽しいクリスマス&年末をお過ごしくださいね!

 

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ベートーベンの楽曲の中でも人気の交響曲第7番は、このシュテファン大聖堂近くで公開演奏されました。ベートーベンは当時、どのような気持ちで、シュテファン大聖堂を見上げたのでしょうか。(Photo by Miyukey 2018.9.19撮影)

 最後までお読みいただき、ありがとうございました☆

 

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