もう数年前だったか、何気なくテレビをつけたら
デヴィ夫人の特集番組をしていた。
ふだん、バラエティー番組で見せている顔とは異なる
優雅な日常と華やかな経歴、
そして若き日々の美しい写真に目が釘付けに。
貧しい家庭に育ちアルバイトを掛け持ちした学生時代、
赤坂の高級クラブで働いた後、インドネシアのスカルノ大統領の愛人、
正式な妻へ・・・というシンデレラストーリー。
80歳になる現在も、テレビで見ない日はないほどの活躍ぶり。
若さの秘訣を問われ
「毎日、なんでもいいから、最低1回は感動すること!
わたくしなんて毎日10回は感動しているんですから」
と言っていた。
デヴィ夫人に興味はなかったが、
その言葉は深く胸に突き刺さった。
(写真:傘寿記念 デヴィ・スカルノ展 わたくしが歩んだ80年 | コモレバWEB)
1日10回感動するというのは難しい。
けれど、子供の頃は、何もかもが新鮮で、
一日に何十回と感動していた気がする。
年を重ねる度に「感動」が減り、月日が経つのが早くなる・・・
外見の衰えも恐ろしいが、そうした心の衰えも同様に恐ろしい。
私はそのテレビ番組を見た日から、
「一日一回は感動する」ことを目標にしている。
旅行をすると感動の連続であることが多いけれど
今年のように、旅に出られない状況に陥ることもあるし
そうでなくても、いつも旅をしているわけにもいかない。
読書や映画鑑賞をしていると感動する可能性は高いが
「絶対」ではない。
好みの問題もあるし、期待はずれなんてこともあり
本当に心を揺さぶられる作品に出会えることは
たくさんの本や映画の中でもほんの1、2作ということのほうが多い。
そう考えると、「毎日感動する」というのは
一気にハードルが高くなる。
かと思えば、何気なく手に取って
パッと開いたそのページに「感動」が隠れていることもある。
先月、ポストに「通販生活」のカタログ冊子が入っていた。
ずっと前に、たった一回買い物をして以来、
ご丁寧にも毎月送られて来るのだ。
いつもはそのままゴミ箱行きだが、
その日はたまたま中をのぞく気になった。
意外にも読み物になっているページが多く、
そこに2019年にアフガニスタンで
(写真:WEB特集 中村哲さん 知られざる“無垢な” 素顔 | NHKニュース)
貧困層の診療に携わる。
アフガニスタン難民のための基地病院設立、
巡回診療の実施など多くの人々の命を救った。
2000年以降はアフガニスタンを襲った大干ばつ対策のため
飲料用井戸、地下水路を再生。
村民の難民化を食い止めた。
2001年、米英軍による大規模空爆が始まると
「アフガンいのちの基金」を設立。
15万人に食料の配給を行った。
また、モスクの建設を行い、人々の「心の解放」にも努めた。
(「通販生活」2020年6月号落合恵子の深呼吸対談 特別編「追悼中村哲さん」P61を要約)
73歳で亡くなるまでの35年間、
全力で尽くした生涯だった。
平等に24時間という時を与えられ、同じ時間を生きていても
真に価値のあることを成し遂げる人はいるものだ。
中村哲さんの崇高な生き方に心を打たれた。
過酷な労働、質素な食事、死と隣り合わせの環境の中で
常に一番危険な最前線に立ち、活動の指揮を執った中村哲さん。
その強い遺志は今も、支持する人々によって受け継がれ、
アフガニスタンの人々の「命」を救っている。
全く、ひょんなところに感動は転がっているものだ。
考えてみれば「感動」というのは
買い物帰りに見上げた空がすごく綺麗だったとか
花瓶にさした花のつぼみが咲いて、それがとても愛らしかったとか
そんなささいなことでもいいのだ。
「感じること」。「心を動かすこと」。
それが大切なんだろうなと思う。
それでも、「感動」できる日もあれば
今日は私は何をしていたんだろうと情けなく思いながら
ベッドに入ることもある。
心を動かさない日が長く続くと
身体の筋肉と同様、心も凝り固まり、
目の前に「感動」があっても、
いつか気付かず通り過ぎてしまうかもしれない。
ひょんなところで出会える偶然の「感動」も、
読書や映画、美術鑑賞、旅といった
自分から行動して得られる「感動」も
どちらも大切にしながら
これからも「1日1回以上の感動」を目標にしていくつもりだ。