Miyukeyの気まぐれブログ

愛媛県在住のアラフォー主婦です。本、洋画、訪れた場所などの感想を気まぐれに、かつ自由に綴りたいと思います☆笑顔の扉の”key"を見つけられる毎日になることを祈って♪現在は、仕事繁忙期のため月に2回の更新となっていますが、よろしくお願いいたします☆

関東生活と日本語教師生活から見えたもの 「当たり前」が当たり前じゃなくなるとき

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どこの空の下にいても、故郷はいつも胸の中に。(あべのハルカス展望台からの夜景。2018年3月撮影)


関東に移り住んで一年半になる。

関西で生まれ育ち、30年以上もの間、大阪に住んだ私が

いわゆる「関東人」になる日は来るのだろうか?

いや、ありえない。

この先、死ぬまで何十年間、関東に住もうと、

私の体の中に息づく「関西」を拭い去ることはできないだろう。

子供時代、青春時代を過ごした土地というのは

人間の基盤を作るものであり、

その後、どんなに他の地を転々としようと、

一生、その人の一番中心にあり続けるものなのだと思う。

 

考えてみれば、私は「ソト」から「ウチ」を

眺める機会に恵まれてきたと思う。

その一つは、20代~30代、ずっと携わってきた

日本語教師という仕事だ。

1クラス20人の、世界中から集まった外国人学生たち。

日本人は教師である私一人だ。

それは「世界の縮図」だった。

性別、国籍、年齢も異なる学生たち。

文化、お国柄、性格、バックグラウンドも、

もちろん様々。

日本語を教える、ということは

日本文化を教えるということでもある。

それは想像していたよりも、ずっと難しく

常に試行錯誤だった。

日々、奮闘する中で、

私は「世界から見た日本」というものを意識し

問い続けてきた。

世界中の人々を惹きつけるサブカルチャーや美しい伝統が

注目される一方で、

閉塞感のある島国根性やタテ社会、

まじめすぎる勤務体制や、輪を重んじる日本人の気質に

戸惑う外国人も少なくはなかった。

日本人の中にいたら「当たり前」のことが

一歩日本の外に出たら、常識ではなくなる。

それを改めて感じた学ぶことの多い十数年間だった。

 

今、私は関東で暮らしている。

同じ日本でも、

慣れ親しんだ「関西」という「ウチ」から

一歩出ると、見えてくることがたくさんある。

関東は魅力的な地だ。

でも、この街で、私は、やっぱり「ヨソモノ」だ。

関東人とは違う言葉、「関西弁」を使い、

せっかちすぎて行列は苦手。

東京の人ごみや電車の線の多さには圧倒される。

うまく言えないのだが、

それだけではなく、何かが違う。

谷崎純一郎は、「細雪」の中で

芦屋(関西)から渋谷(関東)へ移った雪子に

東京は空気の肌触りがちがう

と言わせているが、その感覚に近いかもしれない。

 

大阪に住んでいた頃は、周りに比べて関西色が少なく、

「イメージや雰囲気が東京っぽい」

と言われることが多かった私だが、

こちらへ来て痛感した。

私は根っからの関西人だ、と。

関西は私にとって特別な地。ルーツだ。

「ソト」に出れば「ウチ」がよく見える。

当たり前に近くにあったものが、本当はよく見えてなかったのだと

実感する。

関西にいた頃は、郷土愛なんて持ちようもなかったし

時には東京の街に憧れもしたけれど、

私はやっと気づいた。

関西を、愛しているのだ、と。

 

 

 

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