Miyukeyの気まぐれブログ

愛媛県在住のアラフォー主婦です。本、洋画、訪れた場所などの感想を気まぐれに、かつ自由に綴りたいと思います☆笑顔の扉の”key"を見つけられる毎日になることを祈って♪現在は、仕事繁忙期のため月に2回の更新となっていますが、よろしくお願いいたします☆

秋バラと紅葉の競演を楽しんで♪ 与野公園で今年も・・・☆(写真日記)

今年も与野公園の薔薇を見に行って来ました☆

約150種類2000株以上の薔薇が咲き誇るバラ園です☆

 

 

まずは木々がいっぱいの道を抜けていきます。

 

 

色づきかけている葉の間から差し込む秋の光が優しくて☆

落ち葉が朽ちていく匂い、森林の匂い、秋の匂い!

踏みしめる落ち葉の音も・・・

秋が深まっていく空気を感じながら、

しばし森林浴☆

 

 

森のような道を抜けると

与野公園のバラ園♪

 

 

今年はすこし来るのが遅かったようで、満開の時期は過ぎていました。

そのかわりに、ほんのりと色付きかかっている

木々の紅葉と薔薇の花とのコントラストが楽しめました!

 

 

 

 

 

「ダイアナプリンセス オブ ウェールズ」や「チャイコフスキー」など、

毎回、楽しませてくれる薔薇の花たちとの再会・・・♪

また会えて嬉しい!

 

(左)ダイアナプリンセス オブ ウェールズ  (右)チャイコフスキー

 

花の命は短いから、薔薇も桜も、紅葉ですら見ごろは

あっという間に過ぎてしまいます。

タイミングが全てなんですね。

なんだか、人生と同じ。

タイミングがピタッと合えば、得るものは多く、感動も待っています☆

そのためには、いつもアンテナを張って、

「すぐ」に動くことが大切。

でも、もしタイミングを逃しちゃったら、どうすればいいんでしょう?

それでも、素敵なものはたくさんあります。

バラの花びらが落ちて、絨毯のように敷き詰められた地面が美しかったり

紅葉と薔薇の花の思わぬ競演が見られたり☆

遅すぎた~って残念がらないで、

出会えたことに感謝して、次に向けて笑顔でいたい!

人生もそんな風に歩んでいければいいなぁ。

 

秋の柔らかな光の中の薔薇たちは、微笑んでいるように見えました。

 

バラ園を歩いていると、カメさんのお散歩に出くわしました!

かわいい~☆

 

ギリシャリクガメというそうです。

甲羅に日の光を当ててやらないといけないから

時々こうして、お散歩させるのだとか☆

 

カメさんが大好き。

ポコンとした甲羅や、のんびり日光浴をしている横顔、

ゆったりしているのに、餌を食べるときだけめちゃくちゃガッつく

カメの動きを見ていると、「あー、自分らしくマイペースでいいんだなぁ」

と思えます^^

 

カメさんもバラの花を満喫できたかな?

 

今年もバラの花の横顔や後ろ姿をたくさん見ることができました☆

 

ぐーんと背伸びして、秋空にタッチしようとしているみたい☆

 

 

 

前の記事から、薔薇の後ろ姿についての文章を少し抜粋します♪

 

「美しい人は後ろ姿も美しい」

「後ろ姿に生き方があらわれる」

そんな言葉を聞いたことがあります。

花も後ろ姿に表情がある気がします。

悲しみ、悔しさ、寂しさ、辛さ・・・

人生にはいろんなことがあるけれど、

それを受け入れ、乗り越えた先には

こんな美しい花を咲かせられるときが来るのかもしれません。

そして、苦しみを、強さや優しさに変えることができたときにこそ

人を元気づけられる美しさを得ることができる・・・

バラの後ろ姿は、そんなことを教えてくれました。

引用:

コロナを乗り越えて咲き誇る!秋バラの魅力☆与野公園バラ園<埼玉> - Miyukeyの気まぐれブログ

 

 

 

美しい花を咲かせられることができる・・・!そう信じて。

 

今までは気づかなかった石碑を発見

 

 

与野公園は、なんと明治10年(1877年)から

145年もの歴史を持つ公園です。

バラ園ができたのは昭和52年(1977年)。

石碑にあるように、再整備を経て

この地は薔薇の名所として、多くの人々を楽しませてきたのです。

これほどたくさんの薔薇の花を管理し、

無料で開放しているバラ園は珍しいのではないかと思います。

その美しいバラの陰には

「薔薇の花は子供です」と語り、

バラの花を我が子のように愛し、大切に育てている

ボランティアグループ「バラサポーター」の方々の尽力があります。

こうして毎年、薔薇の花を楽しみ、たくさんのエネルギーをもらえるのは

花々を、そしてこの街を愛し管理してくださる人々のお陰。

感謝です☆

 

 

バラの花も、そろそろ終わり。

季節はどんどん冬に向かって加速していきます。

そして、今年も残すところ、2か月を切りました。

どんな一年でしたか?

年始に立てた目標で、できなかったことは?

あと約一か月半で、どれだけ良い年にすることができるでしょうか?

楽しく笑顔で、「良い一年だった」といえる年末にしたいですね♪

 

 

<おまけ☆はてなブログ今週のお題「やる気が出ないときの◯◯」に答えます>

 

私はやる気が出ないときは特に、

全力で自分で自分の機嫌を取っています^^:

美しいものを見ることも、「自分の機嫌を取ること」のひとつ☆

今の季節なら紅葉や薔薇の花、これからはクリスマスのイルミネーションも綺麗です。

気になる美術展へ行ったり、可愛い雑貨を見たり、

美味しいお菓子を食べながら、まったりと読書タイムも。

そうして自分を甘やかしていれば、いつしか、

「よし、ちょっとだけ、がんばってみようかな?」って

思える自分がいます。

「ちょっとだけ」というところがミソ。

ちょっとずつでいいんだと思います。

やる気が出ないときは、逃げて、

でも、元気になったら、ちょっとずつ一歩踏み出す。

私なんか、その繰り返しです。

分厚く雲が青空を覆っていても、

その向こうの青い空をイメージできる自分でいたい、

いつもそう思っています。

 

 

最後までお読み頂き、ありがとうございました☆

 

 

 

 

<バラの花の過去記事>

 

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有隣荘の特別公開☆ 大原美術館創設者・大原孫三郎の想いが詰まった館

倉敷の有隣荘。

年に2回だけの内部公開に、行って来ました!

 

 

1、有隣荘の内部見学♪  

 

倉敷美観地区へ行ったことがある人なら誰でも、

この美しい建物を見たことがあるでしょう。

赤肉メロンのような(!?)オレンジの塀の向こうに見える

緑色の瓦屋根の大豪邸。

それは、大原美術館を創設した実業家、大原孫三郎の別邸です。

 

 

別称「緑御殿」。

1000円で立派な家が建つ時代に、26万円で建設された有隣荘。

どれだけ贅を尽くした邸宅なのかがわかります。

雨に濡れると、屋根の瓦がますます緑を深め

とても美しいのだとか。

「雨の日がこんなに美しい街は、ヨーロッパでもヴェネツィアよりほかに

見たことがない」

と、外国から来日した芸術家たちに言わしめるほど。

天候が悪いのは嫌だけど、雨の日の有隣荘も見てみたい・・・☆

 

実は、この別邸は、大原孫三郎の妻、壽恵子さんのために

孫三郎が建てたもの。

有隣荘の隣にある大原家の邸宅では人の出入りが激しく、

病弱であった壽恵子さんがゆっくり休むことができないと

妻を気遣ってのことでした。

壽恵子さんが亡くなったのは、有隣荘が建てられた2年後の1930年。

46歳でした。

家族だけの時間を持ちたい、妻が静かに休める場所をとの

優しい気遣いから建てられた有隣荘でしたが、

その後は、皇族をおもてなしする貴賓の役目も果たしました。

 

 

私は倉敷を訪れるのは3回目。

塀の外側から有隣荘を見て、いつも、

あの美しい瓦の下には、どんな部屋があるのだろう!?

中からは、どんな景色が見えるのだろう!?

と思っていました。

一昨年は、例年、年二回の公開時期に行くことができたのですが

なんとコロナ禍で、公開中止。

今年は三年ぶりの特別公開とのことで、

やっと念願の有隣荘に入ることができたのです!!

 

 

毎回、趣向を凝らした展覧会が開催されていますが

今回はマティス

その展示も含めて、期待に胸を膨らませながら、いざ入館☆

 

玄関を入った瞬間から、その静謐な空気、

照明に心を奪われます。

美しい場所は、周りにどれだけ人がたくさんいても

「静けさ」を感じられるもの。

光に、陰に、静けさが漂っていて、自分の心の中も

しんと静まりかえっていく気がする・・・

有隣荘は、まさにそんな場所でした。

 

洋間 (写真:「有隣荘」より)

 

入ってすぐの洋間がまた息を呑む美しさ。

アールデコ様式のシャンデリアや、

秋の光が差し込む窓、落ち着いた木材の床や壁。

暖炉の装飾(写真「有隣荘」より)

 

私が最も心惹かれたのは、暖炉の装飾です。

大原美術館のコレクションを収集した児島虎次郎が

エジプトから持ち帰ったとされる石のプレートが

はめ込まれています。

石に彫られたユーモラスな人々の姿が、なんとも神秘的で見入ってしまいました。

 

 

(左) 「マルティニックの女」 1947  (右) 「女の戦 」1935(いずれもマティス

 

自然光の中で鑑賞するマティスの作品群。

美術館とは違い、有隣荘の中では一切ライトは使われません。

アールデコ様式の邸宅の中、秋の光に照らされたマティス

躍るような線、軽快で自由なマティスの画風は、

この有隣荘の雰囲気にぴったり合っています。

私は、初めてマティスの良さを知った気がしました。

美術館の計算し尽されたライトや枠にはまった空間ではなく

自然の明かりの中で、緑の見える窓のすぐそばで、

マティスの作品は、今までとは違った表情を見せてくれたのです。

 

 

2、もう一つの物語  ~児島虎次郎と大原美術館と・・・

 

大原孫三郎は、大原美術館の創設者。

日本初の私立西洋美術館である大原美術館の創設物語は

一人の画家と大実業家との出会いから始まるのです。

 

(左)「大原孫三郎像」1915 (右)「自画像」1917(いずれも児島虎次郎作)
(写真:Wikipedia 児島虎次郎より)

 

画家を志していた児島虎次郎が、

大原家の奨学生となったことから二人は出会い、意気投合。

孫三郎は虎次郎に5年間の留学を許し、画業を極める道をバックアップ。

渡航先で海外の素晴らしい芸術作品に触れた虎次郎は

帰国後、世界中の名画を集め美術館を建てる構想を

孫三郎に提案します。

最初は乗り気ではなかった孫三郎でしたが、

虎次郎の熱心な説得を受け、出資を決意することに。

虎次郎は海外へ買い付けに奔走し、孫三郎と相談しながら

芸術作品を購入・・・

 

二人の強力なタッグがなければ、いまの大原美術館はなかったのです。

日本にあることが奇跡と言われるエル・グレコ

モネを直接訪ねて児島虎次郎が買い付けた「睡蓮」も。

全て、二人の熱い友情と信頼の力で、いまこの倉敷にあるのです。

(左)エル・グレコ「受胎告知」17世紀  (右)モネ「睡蓮」    大原美術館所蔵

(写真:Wikipedia 大原美術館より)

 

才能と情熱あふれる児島虎次郎でしたが、運命には抗えませんでした。

過労が原因で、47歳でこの世を去ります。

孫三郎は、この無二のパートナーの功績を残すため

虎次郎の死の一年後、大原美術館を建てました。

 

秋空に映える大原美術館

 

有隣荘の二階からは、大原美術館が真向いに見えます。

二階の窓辺に立って、孫三郎は、どんな想いで、この景色を見たのでしょうか?

志半ばで逝ってしまった虎次郎を偲び、懐かしく思う気持ちや悲しみ、

また虎次郎の夢であった美術館を完成させたことへの誇りもあったことでしょう。

孫三郎が立ったであろう場所に立ち、その景色を見るとき

改めて、あれほどの芸術作品群を日本に持ち帰った虎次郎と

彼に完全に信頼を寄せて出資し続けた孫三郎との類稀なる信頼関係に

胸が熱くなるのです。

 

児島虎次郎は、有隣荘の内装デザインに深く関わりました。

実は、緑御殿と呼ばれるこの瓦屋根の色を決めたのも

虎次郎

中国文化に魅せられた虎次郎が孔子廟を模した瓦を、と

提案したものでした。

二階へと続く階段の途中にある窓からは、

その瓦屋根の連なりが見渡せる素晴らしい光景が見え

窓自体が、まるで芸術作品のよう。

 

(注)これは、有隣荘の窓から見た景色ではなく、外から見た有隣荘です。ぜひ、有隣荘の特別公開へ行き、内側からの景色を見てみてください☆感動しますよ^^

 

温室から眺められる庭園に置かれた椅子やテーブルは

虎次郎がデザインしたもの、

そして和室の屋久杉の欄間を描いたのも虎次郎でした。

この欄間が、素晴らしかった!いつまでも見ていたくなる美しい辰。

孫三郎が辰年生まれであることからデザインされました。

(写真:「有隣荘」より)

 

この有隣荘の至る所に息づく虎次郎の芸術的センス。

しかし、有隣荘の建設が完成した翌年、虎次郎は亡くなるのです。

孫三郎はきっと、この別邸に足を踏み入れるたび、

若くして逝ってしまったこの情熱に燃えた才能あふれる友人を

身近に感じたことだろうと思います。

 

3、大原壽恵子の軌跡

 

有隣荘の内部を見学し、私にはもくもくとひとつの大きな興味がわいてきました。

それは、こんな立派な別邸を建ててもらえる

孫三郎の妻・壽恵子さんとは、どんな女性だったのか!?ということ。

 

その答えは、有隣荘の隣の大原家にありました。

大原孫三郎の生家でもある大原家住宅。

ここで、偶然にも大原壽恵子展が開催されていました。


(左)大原壽恵子さん  (右)棟方志功画・大原壽恵子詩

 

 

 

 

今回、展示されている壽恵子さんの直筆の手紙、

日記や写本を実際に目にして、

彼女の人となりを、ほんの少し垣間見れたような気がしました。

「字は人を表す」と言いますが、壽恵子さんの字は流麗で

女性らしく、研ぎ澄まされた繊細な感受性が溢れ出ているように思いました。

孫三郎が入院した際、毎日、聖書の一節を写本しつづけるなど

女性らしい優しさに溢れる妻だったのだとも感じました。

実業家の妻として、またアララギ派歌人として、一人の女性として生きた

大原壽恵子という人の人生は、謎のヴェールに包まれたままですが

46年という短い人生を、感性豊かに生きた女性の横顔を、

ほんの一瞬見れた気がする、そんな展示物でした。

 

4、最後に

 

倉敷美観地区の、ひときわ目をひく豪邸、有隣荘。

「緑御殿」と呼ばれるその瓦の下には

大原孫三郎の様々な想いが今も残っている気がして

とても心を打たれました。

細部までこだわり抜き、贅を尽くした建築の随所に見られる

児島虎次郎の美意識。

逝ってしまった彼を偲びながら過ごす孫三郎の姿を思うと

この邸宅には、様々な想いや歴史が詰まっているのだと感慨深いものがありました。

今までも、これからも、

有隣荘は、様々な物語を秘めて、この倉敷の街を見守っていくのでしょう。

 

児島虎次郎「眠れる幼きモデル」(1911

(写真:Wikipedia児島虎次郎より)

最後までお読み頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

<倉敷の過去記事>

 

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