家がもし話せたら、どんなことを話すのだろう?
何世代もの家族が暮らしてきた古い家。
考えてみれば家は、住まう家族の物語や歴史を見つめているものだ。
この小説は、「家」というものを軸に
家族の繋がり、人々の悲喜こもごも、時の流れ、
そして長崎の小さな島の移り変わりを描いている。
一家で草刈りに行くところから物語は始まり、
今はもう誰もがぼんやりとしか覚えていない過去を
さかのぼっていく。
海を渡って一旗揚げたい夫と、それについて行かざるをえない妻。
海を渡った夫婦が売りに出した家は酒屋をしていた男が買い取り、
移り住む。
敗戦後には難破した密航船で溺れかけた外国人たちを休ませるために
家の土間が使われる。
島でクジラ漁が盛んであったときは青年が刃刺しになるための無言の修業を積んだ。
また、グレかけた中学生がカヌーで島に辿り着き、
その家にカヌーを置いて帰ったこともあった。
そんな様々な人間模様、ストーリーが
一家の草刈りの合間に挟みこまれていて面白い。
様々な草が海のように生い茂った場所に
まるで島のようにぽつんと佇む納屋。
そこに奈美たち一家は草刈りに行くのだ。
大学中退後、6年間の無職生活を経て、
4度目の芥川賞候補作で受賞を手にした著者、古川真人さんは
芥川賞受賞インタビューで
「家族や親族って、まさにこの小説の『草を刈る』こともそうなんですけど、
目的や意味がよくわからない集まりが多いじゃないですか。
でも、一見無意味に思えるその行為を続けることが、
結果的に家族や親族を結び付けているんです。
そういう類の集まりがなくなったら、それはもう、
ただの書類上の関係にしか過ぎない」
と語る。(文藝春秋2020年3月号)
なぜ毎年、すぐに伸びてしまう草を刈るため駆り出されねばならないのかと
奈美は思いながら
それでも、その集まりは、きっと来年もある。再来年も。その次も。
今、八十五歳を過ぎた敬子婆はいついなくなるかわからない。
奈美の伯母も母も定年を過ぎて老いが目立ち始めた。
一人、二人と家族が減り、けれど結婚する者もいて増え、
顔ぶれが変わっていっても、
やっぱり「一族」が繋がっていく。
そして、それを、家が見つめ、島が抱く。
永遠に続くものなど何もないが、形を変えながら
脈々と続いていく繋がりと時の流れ。
「古い家の雑草刈りに集まった主人公たちが生まれ育った平戸の島
そのものの「血」を象徴するメタファだと解釈した」
言い得て妙である。
今回、ご紹介しました古川真人さんの「背高泡立草」の全文と
読みごたえたっぷりの一冊です。↓↓
「背高泡立草」の単行本は、こちらから↓↓↓
芥川賞作家、今村夏子さんのデビュー作「こちらあみ子」の感想です。
すばらしい一冊なので、おすすめです。↓↓↓
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